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平成30年度の国指定文化財等

印刷ページ表示 ページ番号:0649691 2019年3月29日更新文化財課

平成30年5月10日 登録有形文化財(建造物)の登録

登録有形文化財(建造物)の登録 仙田家住宅主屋

 
よみ せんだけじゅうたくしゅおく
員数 1棟
所在地 倉敷市藤戸町天城字町
所有者 個人
概要

 安政7(1860)年建築との伝承のある、倉敷市郊外の天城にある小売業を営んだ商家。街路に面した切妻造、本瓦葺、平入である。内部は改変されているが、1階前面を開口部とし、2階を漆喰塗とする正面や海鼠壁(なまこかべ)などが伝統的な形式をよく残している。

登録の基準 一 国土の歴史的景観に寄与しているもの
 

仙田家住宅主屋

仙田家住宅主屋

 

平成30年11月2日 登録有形文化財(建造物)の登録

登録有形文化財(建造物)の登録 旧中山家住宅主屋、離れ屋及び内蔵、中蔵、米蔵、長屋門

よみ きゅうなかやまけじゅうたくしゅおく、はなれやおよびうちぐら、なかぐら、こめぐら、ながやもん
員数 5棟
所在地 倉敷市連島町西之浦字長堂
所有者

個人

概要

 大正3~4年頃に建築。高梁川東岸の丘陵南麓にある実業家の住宅。主屋は敷地中央に南面して建つ入母屋造(いりもやづくり)の平屋建てで、屋根の周囲に深い軒の下屋(げや)を廻し、正面に玄関を出す。内部は中廊下を通して前後に座敷を並べ、15畳の表座敷に大ぶりの座敷飾りを備える。良材を用いた上質な造作(ぞうさく)をもつ豪壮な和風住宅である。

 主屋西側に渡廊下で接続する離れ屋及び内蔵は二階建てで、客座敷である離れ屋と家財蔵である重厚な土蔵造(どぞうづくり)の内蔵を連結した特色ある付属建物である。

 敷地後方には、高い石積基壇(いしづみきだん)上に土蔵造2階建ての中蔵と米蔵が並んで建ち、重厚な屋敷構えを形成している。

 敷地正面に建つ桁行(けたゆき)27メートルに及ぶ長大な長屋門は、中央を間口の広い門口(かどぐち)とし、城門を彷彿させる雄大な表門である。

登録の基準

一 国土の歴史的景観に寄与しているもの(主屋を除く)

二 造形の規範となっているもの(主屋)

 

旧中山家住宅主屋(南から)

旧中山家住宅主屋(南面)

 

登録有形文化財(建造物)の登録 仲﨑家住宅主屋

よみ なかざきけじゅうたくしゅおく
員数 1棟
所在地 瀬戸内市長船町福岡字東小路
所有者

個人

概要

 大正6(1917)年頃建設。備前福岡の地主宅の主屋で、敷地北寄りに建つ。総2階建て、起(むく)りのある入母屋造の4周に下屋を廻す。内部は1階に前後2列各3室を配し、2階に座敷や洋室を配する。内外に優れた造作を施し、集落景観の核となっている大規模住宅である。

登録の基準

一 国土の歴史的景観に寄与しているもの

 

仲﨑家住宅主屋

仲﨑家住宅主屋(西から)

登録有形文化財(建造物)の登録 旧赤坂尋常高等小学校校舎

よみ きゅうあかさかじんじょうこうとうしょうがっこうこうしゃ
員数

1棟

所在地 赤磐市馬屋字上山
所有者

個人

概要

 明治43(1910)年久米南町に建設、その後昭和48(1973)年に現在の地に移築された小学校校舎。木造、寄棟造の2階建てで、左手に平屋棟が附属する。玄関のアーチ状装飾や小壁の襷状意匠、屋根上に円形窓を載せる外観や独特な形式によるトラスの小屋組などは、学校建築を多く手がけた江川三郎八の関与が窺われる。

登録の基準 二 造形の規範となっているもの
 

旧赤坂尋常高等小学校校舎(南から)      

旧赤坂尋常高等小学校校舎(南から)  

登録有形文化財(建造物)の登録 金光教教学研究所客殿、客殿付属舎、洋館

よみ こんこうきょうきょうがくけんきゅうしょきゃくでん、きゃくでんふぞくしゃ、ようかん
員数 3棟
所在地 浅口市金光町大谷
所有者

宗教法人 金光教

概要

 昭和5(1930)年建設。金光町市街地南部の丘上にある迎賓施設。客殿は敷地中央に西面して建つ。入母屋造銅板葺で四周に下屋を廻し、内部は中廊下を通して座敷4室を設ける。近代の設計手法と伝統木造技術が高度に調和した昭和期和風建築の好例。客殿西側に玄関を兼ねる客殿付属舎、西面南側に寄棟造の2階建て塔屋付きの洋館が渡廊下を介してつながっており、格調高い和洋館併設の面構えを形づくる。

登録の基準

一 国土の歴史的景観に寄与しているもの(客殿を除く)

二 造形の規範となっているもの(客殿)

 

金光教教学研究所客殿(西から)(写真提供:浅口市教育委員会)

金光教教学研究所客殿(西から)(写真提供:浅口市教育委員会)

登録有形文化財(建造物)の登録 奥津荘本館

よみ おくつそうほんかん
員数 1棟
所在地 苫田郡鏡野町奥津字湯ノ前 
所有者

有限会社 奥津荘

概要

 

 昭和10(1935)年頃建設。奥津温泉中心部にある総2階建ての木造旅館。唐破風(からはふ)の玄関上に大屋根の妻面を重ね、1階全面に並んだ格子や出桁造(だしげたづくり)の深い軒など立体感のある外観で、温泉街の歴史的景観の核をなしている。

登録の基準

一 国土の歴史的景観に寄与しているもの

 

奥津荘本館(南から)

奥津荘本館(南から)

平成31年3月29日 登録有形文化財(建造物)の登録

登録有形文化財(建造物)の登録 佐藤家住宅主屋、東土蔵、西土蔵、長屋門

よみ

さとうけじゅうたくしゅおく、ひがしどぞう、にしどぞう、ながやもん

員数

4棟

所在地

倉敷市福田町古新田

所有者

個人

概要

 倉敷市南部の田園地帯に、江戸中期以降に建てられた農家。

 主屋は、敷地中央に南面して建つ入母屋造り茅葺き(金属板仮葺き)の木造平屋建てで、4周に本瓦葺きの下屋(げや)を廻す。東に土間、西に前後2列に部屋を並べ、背面に座敷棟を付すなど備前地方平野部の伝統的な民家形式をよく示す。

 東土蔵・西土蔵は主屋の北に建ち、切妻造り本瓦葺き、土蔵造りの木造2階建てである。外壁は漆喰塗りで腰を縦板張りとしており、伝統的な屋敷構えを構成している。

 長屋門は敷地南面の東寄りに建ち、入母屋造り本瓦葺き木造平屋建てで、背面に下屋を通す。花崗岩の基礎石に土台を載せ、柱を立てる。上層農家の伝統的な屋敷構えを形成している。

登録の基準

一 国土の歴史的景観に寄与しているもの(主屋を除く)

二 造形の規範となっているもの(主屋)

 

佐藤家住宅主屋(南東から)

佐藤家住宅主屋(南東から)

 

登録有形文化財(建造物)の登録 長島愛生園旧事務本館、旧収容所、旧日出浴場、旧洗濯場、園長官舎

よみ

ながしまあいせいえんきゅうじむほんかん、きゅうしゅうようじょ、きゅうひでよくじょう、きゅうせんたくば、えんちょうかんしゃ

員数

5棟

所在地

瀬戸内市邑久町虫明

所有者

国立療養所長島愛生園

概要

 長島愛生園は、昭和5(1930)年に日本初の国立療養所として誕生した、長島東部にあるハンセン病療養施設。

 旧事務本館は、昭和5年建設後増築し、平成10(1998)年・15(2003)年に改修される。施設の中心に建つ鉄筋コンクリート造り2階建て一部平屋建てで、正円アーチ形の車寄せ開口部や二階窓、大ぶりのパラペットなど斬新なデザインを施している。

 旧収容所は、昭和5年建設、平成29(2017)年に改修される。北岸の波止場に建つ新規入園者の停留施設で、鉄筋コンクリート造り平屋建て、北に廊下、南に大空間の病室を配し、廊下沿いの西半に診療室や浴室等を並べるなど昭和初期の医療施設の形式をよく示している。

 旧日出浴場と旧洗濯場は、昭和5年建設で、旧日出浴場は昭和30(1955)年に改修・増築される。敷地東部の居住区裏山の東裾に並んで建つ鉄筋コンクリート造り平屋建てで、昭和期における療養施設の中核部分の景観を伝えている。

 園長官舎は、敷地西部の官舎区の南端に西面して昭和5年建設された。寄棟造り桟瓦(さんがわら)葺きの平屋建てで、北端に切妻造妻入りの玄関付洋館を設ける。昭和期の仕様を伝える和洋館併設の官舎建築である。

登録の基準

一 国土の歴史的景観に寄与しているもの(旧日出浴場・旧洗濯場)

二 造形の規範となっているもの(旧事務所本館・旧収容所・園長官舎)

 

長島愛生園旧事務本館(南西から)

長島愛生園旧事務本館(南西から)

 

登録有形文化財(建造物)の登録 邑久光明園恩賜会館、旧裳掛小・中学校第三分校、奉安殿、物資運搬斜路、瀬溝桟橋

よみ

おくこうみょうえんおんしかいかん、きゅうもかけしょう・ちゅうがっこうだいさんぶんこう、ほうあんでん、ぶっしうんぱんしゃろ、せみぞさんばし

員数

3棟2基

所在地

瀬戸内市邑久町虫明

所有者

国立療養所邑久光明園

概要

 邑久光明園は、明治42(1909)年に大阪府に設立されたが、昭和9(1934)年の室戸台風により壊滅したため長島西部に再建されたハンセン病療養施設。

 恩賜会館は、昭和16(1941)年建設、平成15(2003)年に改修される。半切妻造り妻入りの平屋建てで、正面は中央車寄せ上部の壁面を突出して三連アーチ窓を配するなど特徴的な造形表現とする。敷地中央部に建つ当施設の象徴的存在である。

 旧裳掛小・中学校第三分校は、木尾湾東側に面しており、木造平屋建て切妻造りセメント瓦葺きの校舎が残る。昭和14(1939)年建設、平成14(2002)年に改修されているが、療養施設附属の学校建設の貴重な遺構である。

 奉安殿は、昭和18(1943)年敷地北部の高台に建設され、平成21(2009)年に改修されている。鉄筋コンクリート造り切妻造り銅板葺きで、棟上に千木(ちぎ)と堅魚木(かつおぎ)を載せ、外壁の四隅に円柱を表す。類例の少ない療養施設附属のものである。

 物資運搬斜路は、昭和13(1938)年に敷地南部の波止場に建設された。中央部高台の施設に物資を引き上げるためのコンクリート製のトロッコ軌道で、昭和初期の鋼索式傾斜地輸送設備として貴重な遺構である。

 瀬溝桟橋は、昭和24(1949)年に施設西部の官舎区の波止場にある石造りの埠頭で、昭和46(1971)年と平成16(2004)年に改修されている。島と本土を結んだ職員用の船着場で、昭和期における療養施設の構成を伝えている。

登録の基準

一 国土の歴史的景観に寄与しているもの(恩賜会館を除く)

二 造形の規範となっているもの(恩賜会館)

 

邑久光明園恩賜会館(南東から)(写真提供:邑久光明園)

邑久光明園恩賜会館(南東から)(写真提供:邑久光明園)

 

平成31年3月18日 登録有形文化財(建造物)の登録を答申

登録有形文化財(建造物)の登録答申 西大寺高祖堂、経蔵(輪蔵)、仁王門、石門、鐘楼門

 

よみ

さいだいじこうそどう、きょうぞう(りんぞう)、におうもん、いしもん、しょうろうもん

員数

5棟

所在地

岡山市東区西大寺中

所有者

宗教法人 西大寺

概要

 高祖堂は、装飾を控えた格式高いつくりの三間堂(さんげんどう)。

経蔵(輪蔵)は、平面六角形の建物の内部に八角輪蔵を据え付けた貴重な遺構。

仁王門は、精緻な大工技術を駆使した県下最大級の楼門。

石門は、国内最大規模を誇る竜宮造(りゅうぐうづくり)の楼門で、岡山県の石造技術の高さを示す。

鐘楼門は、国重要文化財の梵鐘を吊るしていて、江戸中期の境内の建築形式を伝える遺構。

登録の基準

一 国土の歴史的景観に寄与しているもの(鐘楼門)

二 造形の規範となっているもの(鐘楼門を除く)

 

西大寺高祖堂(写真提供:岡山市教育委員会)

西大寺高祖堂(写真提供:岡山市教育委員会)

 

 登録有形文化財(建造物)の登録答申 大浦神社本殿、祝詞殿・幣殿及び拝殿、鳥居

 

よみ

おおうらじんじゃほんでん、のりとでん・へいでんおよびはいでん、とりい

員数

2棟1基

所在地

浅口市寄島町

所有者

宗教法人 大浦神社

概要

 本殿は境内後方の高い基壇上に昭和2(1927)年に再建され、平成27(2015)年に改修されている。平面規模は、およそ東西6m、南北5m、面積26平方メートルを測る。入母屋造(いりもやづくり)銅板葺で、正面に千鳥破風(ちどりはふ)、向拝(こうはい)は唐破風(からはふ)付きである。蟇股(かえるまた)や木鼻(きばな)に精巧な彫刻を施す近代の大型社殿である。

 祝詞殿・幣殿及び拝殿は、昭和2年に大改修されているが、江戸後期~末期の様式を保っている。入母屋造銅板葺の拝殿(面積約77平方メートル)と祝詞殿(面積約44平方メートル)を前後に配置して幣殿(面積約29平方メートル)でつなぐ権現造(ごんげんづくり)風の外観である。全体に端正なつくりで、拝殿正面の向拝を霊獣の彫刻で飾るなど、厳かな景観を演出している。

 鳥居は昭和2年建築で、柱間5m、高さ7m、足元径0.6mを測る花崗岩製明神鳥居である。扁額の「大浦神社」は犬養毅の揮毫によるものである。

登録の基準

一 国土の歴史的景観に寄与しているもの(本殿を除く)

二 造形の規範となっているもの(本殿)

 

大浦神社本殿(写真提供:浅口市教育委員会)

大浦神社本殿(写真提供:浅口市教育委員会)