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「第三十一代横綱 常ノ花」手形碑
第三十一代横綱 常ノ花 手形碑(墨田区 国技館通り)
大相撲の聖地、両国国技館前の国技館通りに昭和の大横綱たちの手形碑が設置されており、そこに岡山県出身で唯一の横綱、常ノ花(本名:山野辺 寛一)の手形を見ることができる。
大相撲第31代横綱である常ノ花は明治29年(1896年)11月、岡山市に生まれ、明治42年(1909年)に出羽海部屋に入門。翌年1月場所で初土俵を踏み、大正6年(1917年)5月場所の新入幕後は、決して恵まれた体格ではなかったが、稽古に励み、順調に出世していった。
右四つからの投げ技を得意とし、色白の美男力士として人気を集め、大正9年(1920年)5月場所で大関昇進。翌年5月場所で初優勝(全勝)を果たし、大正13年(1924年)5月場所で横綱に昇進すると、昭和2年(1927年)には3連覇を達成し、大横綱の地位を不動のものにした。
昭和5年(1930年)突如引退。その後、年寄藤嶌(のち出羽海)を襲名すると、昭和19年(1944年)から昭和32年(1957年)まで力士出身では初めての日本相撲協会理事長に就任した。終戦直後の混乱期にあって、角界の復興に尽力したが、昭和35年(1960年)11月胃潰瘍のため、急逝。64歳だった。
なお、両国国技館内の相撲博物館には高さ約2mの常ノ花像が常設展示ではないが、所蔵されている。これは常ノ花が昭和31年(1956年)、蔵前国技館で行われた還暦土俵入りを記念して、同じ岡山県井原市出身の平櫛田中が作ったものである。
時代は流れ、常ノ花の入門から100年目にあたる本年(2009年)1月場所で、郷土岡山県真庭市出身の琴国関が新十両に昇進しており、今後の活躍が期待されている。
【常ノ花の主な成績】
幕内在位:34場所
幕内成績:221勝58敗8分6預68休
幕内最高優勝:10回(全勝3回)
大相撲第31代横綱である常ノ花は明治29年(1896年)11月、岡山市に生まれ、明治42年(1909年)に出羽海部屋に入門。翌年1月場所で初土俵を踏み、大正6年(1917年)5月場所の新入幕後は、決して恵まれた体格ではなかったが、稽古に励み、順調に出世していった。
右四つからの投げ技を得意とし、色白の美男力士として人気を集め、大正9年(1920年)5月場所で大関昇進。翌年5月場所で初優勝(全勝)を果たし、大正13年(1924年)5月場所で横綱に昇進すると、昭和2年(1927年)には3連覇を達成し、大横綱の地位を不動のものにした。
昭和5年(1930年)突如引退。その後、年寄藤嶌(のち出羽海)を襲名すると、昭和19年(1944年)から昭和32年(1957年)まで力士出身では初めての日本相撲協会理事長に就任した。終戦直後の混乱期にあって、角界の復興に尽力したが、昭和35年(1960年)11月胃潰瘍のため、急逝。64歳だった。
なお、両国国技館内の相撲博物館には高さ約2mの常ノ花像が常設展示ではないが、所蔵されている。これは常ノ花が昭和31年(1956年)、蔵前国技館で行われた還暦土俵入りを記念して、同じ岡山県井原市出身の平櫛田中が作ったものである。
時代は流れ、常ノ花の入門から100年目にあたる本年(2009年)1月場所で、郷土岡山県真庭市出身の琴国関が新十両に昇進しており、今後の活躍が期待されている。
【常ノ花の主な成績】
幕内在位:34場所
幕内成績:221勝58敗8分6預68休
幕内最高優勝:10回(全勝3回)