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児島湾締切堤防と児島湖、新田原井堰の管理をしています。
児島湾締切堤防と児島湖
岡山平野は、昔幾つかの大小の島々が点在する一面の浅海でしたが、河川によって運ばれた土や砂が溜まり、さらに人間の手により幾多の干拓が進められ、急速に陸地化していきました。
そして、明治以降に干拓された地域では、陸地の高低差がほとんどなく、水不足、塩害、浸水などの問題が深刻でした。
この問題を解決すべく、昭和25年に児島湾を締め切って淡水湖にするための工事がスタートし、昭和31年の締切によって児島湾締切堤防と児島湖が誕生しました。
児島湖は、児島湾の中ほどを延長1,558mの巨大な児島湾締切堤防で囲うことで築かれた淡水湖であり、このことにより、地域の長年に及ぶ深刻な水問題は一挙に解決を見ました。さらに、高潮による塩害や津波の心配等の問題からも解放されました。
干拓による農地造成と児島湖の造成による用水確保によって、現在では、この地域は県下最大の農業基地として営農の先導的役割を果たしています。
そして、明治以降に干拓された地域では、陸地の高低差がほとんどなく、水不足、塩害、浸水などの問題が深刻でした。
この問題を解決すべく、昭和25年に児島湾を締め切って淡水湖にするための工事がスタートし、昭和31年の締切によって児島湾締切堤防と児島湖が誕生しました。
児島湖は、児島湾の中ほどを延長1,558mの巨大な児島湾締切堤防で囲うことで築かれた淡水湖であり、このことにより、地域の長年に及ぶ深刻な水問題は一挙に解決を見ました。さらに、高潮による塩害や津波の心配等の問題からも解放されました。
干拓による農地造成と児島湖の造成による用水確保によって、現在では、この地域は県下最大の農業基地として営農の先導的役割を果たしています。
新田原井堰
岡山県三大河川の一つである吉井川は、流量の変化が大きく、用水の不足や、洪水被害を繰り返してきました。
このため、先人津田永忠が、三百余年前に築造した田原井堰により用水の確保を行ってきたが、堰の老朽化と水資源の逼迫に対処するため、国営事業により近代的な頭首工として、新田原井堰が完成しました。
この堰は、一般的な頭首工と異なり200万m3の貯水容量を有しており、下流の坂根合同堰及び鴨越堰と調整を図りつつ、農業用水を安定的に供給し、農業経営の合理化と地域農業の発展に、寄与しています。
このため、先人津田永忠が、三百余年前に築造した田原井堰により用水の確保を行ってきたが、堰の老朽化と水資源の逼迫に対処するため、国営事業により近代的な頭首工として、新田原井堰が完成しました。
この堰は、一般的な頭首工と異なり200万m3の貯水容量を有しており、下流の坂根合同堰及び鴨越堰と調整を図りつつ、農業用水を安定的に供給し、農業経営の合理化と地域農業の発展に、寄与しています。