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教育史年表(岡山県)(昭和20年から昭和63年)
昭和20年(1945年)
4月 1日 | 県片上工業学校開校 |
6月29日 | 岡山市 空襲を受け市街地の大部分を消失 |
8月 1日 | 吉備修練道場を吉備興農塾とする (⇒昭和22年4月1日) |
9月21日 | 岡山県庁、岡山市上伊福の旧海軍衣料廠跡へ移転 |
昭和21年(1946年)
4月 1日 | 県立農業専門学校設置 |
4月 1日 | 県第二岡山工業学校が県第二岡山商業学校として復帰 |
4月 1日 | 県立笠岡工業学校、商業科の募集再開 |
5月 1日 | 興除農学校を県営に移管 |
10月15日 | 県教員資格審査委員会、不適格教員 30人の追放を発表 |
11月18日 | 県教育民生部を廃し、教育部と民生部を設置 |
11月25日 | 岡山県教員組合結成 |
昭和22年(1947年)
3月31日 | 県倉敷商業学校と県倉敷女子商業学校を統合 |
4月 1日 | 渋川海洋道場を岡山県海事研修所とする (⇒昭和46年12月1日) |
4月 1日 | 吉備興農塾を岡山県中央公民館とする(⇒昭和38年4月1日) |
4月 1日 | 第一岡山高女高等科を廃し、専攻科を設置 |
4月 1日 | 新制中学校発足(238校) |
4月30日 | 岡山県知事選挙(西岡広吉当選) |
昭和23年(1948年)
3月 4日 | 岡山県PTA連合会発足 |
4月 1日 | 新制高等学校発足 県立全日制49校・公立全日制5校(うち27校が定時制を置く)・ 独立定時制11校・定時制分校27校・私立全日制16校 |
4月 1日 | 県盲唖学校を県立岡山盲学校と県立岡山聾学校に分離 (⇒昭和27年2月16日) |
5月15日 | 県立岡山第一女子高校通信教育部開校式 |
8月23日 | 岡山県教育研修所創設 (⇒昭和48年4月1日) |
9月 1日 | 岡山県立教員保養所を岡山県教員衛生研修所とする (⇒昭和39年9月30日) |
10月 1日 | 県玉島高校を県営に移管 |
10月 5日 | 第1回教育委員選挙 4年委員 3人・2年委員 3人当選 |
11月 1日 | 岡山県教育委員会発足 (当選委員6人と議会選出委員1人の7人制) |
11月 1日 | 横山正人 県教育長に就任 |
11月 1日 | 県事務局は 7課 1室(教育長室,総務課,教職員課,管理課,調査課,指導課 ,社会教育課,体育課) |
昭和24年(1949年)
3月31日 | 高畑浅次郎 県教育長に就任 |
3月31日 | 岡山県視聴覚ライブラリー設置 (⇒昭和32年7月9日) |
6月 1日 | 県教委事務局改組(総務課、学事課、調査課、指導課、社会教育課)(5課) |
6月 1日 | 岡山大学発足(法文・理・医・農・教育の 5学部) |
8月31日 | 公立全日制高校の再編成 (総合制・学区制・男女共学を原則に、全日制 54校を 35校 24学区に。職業高校を示す高校名はなくなる) |
9月10日 | 教育時報(岡山県教育委員会機関誌)創刊 |
9月30日 | 岡山県立高等学校設置条例を制定 |
10月18日 | 岡山県文化賞授与規程を制定 |
昭和25年(1950年)
1月 1日 | 岡山県学校給食会設立 (昭和32年10月1日財団法人に改組) |
1月31日 | 初めて岡山県社会教育委員を委嘱(坂元彦太郎ほか 18人) |
4月 1日 | ミシガン大学日本研究所 岡山市に設置 |
5月13日 | 岡山県学校図書館協議会発足 |
6月 2日 | 岡山県立高等学校学則制定 |
8月11日 | 岡山県高等学校PTA連合会結成 |
11月10日 | 第二回教育委員選挙 |
12月 1日 | CIE図書館設置 (⇒昭和28年12月1日) |
昭和26年(1951年)
2月 1日 | 岡山県教育委員会事務局を岡山県教育庁と称する(教育長公室を設置)(5課 1室) |
4月30日 | 岡山県知事選挙(三木行治当選) |
11月 2日 | 岡山県産業教育審議会規則制定 |
昭和27年(1952年)
2月16日 | 県立岡山盲学校、岡山市原尾島へ移転 |
3月15日 | 岡山県職員の共済制度に関する条例制定(6月2日 教育職員互助組合設置規程制定) |
4月 1日 | 県精研高校、県金川高校、県大原高校、県弓削高校を県営移管 |
5月 1日 | 県教育庁機構改組(教育長公室と調査課を統合し、議事調査室とし、新たに保健体育課を設置)(5課 1室) |
10月 5日 | 第3回教育委員選挙(半数改選) |
11月 1日 | 市町村教育委員会発足 単独設置 275、一部事務組合 20,学校組合 98 計 393 |
12月16日 | 「まきび荘」開所 |
昭和28年(1953年)
4月 1日 | 尾坂鶴夫 県教育長に就任 |
4月 1日 | 県立南海高校を県立児島高校と県立琴浦高校に、県立笠岡高校を県立笠岡高校と県立笠岡商工高校に、県立新見高校を県立新見高校と県立新見農業高校に、県立瀬戸高校を県立瀬戸高校と県立瀬戸農業高校に、分離して開校 |
5月 1日 | 16教育事務所を 10教育事務所に統合(岡山,玉野,倉敷,笠岡,総社,高梁,新見,勝山,津山,美作) |
12月 1日 | CIE図書館を岡山県日米文化センターとする (⇒昭和32年7月9日) |
昭和29年(1954年)
2月23日 | 県苫田高校を県営移管 |
3月11日 | 県竹荘高校を県営移管 |
3月12日 | 県日本原高校を県営移管 |
昭和30年(1955年)
4月23日 | 岡山県知事選挙(三木行治再選) |
9月16日 | 県立邑久高校定時制課程新良田教室開校 (⇒昭和62年3月31日) |
10月18日 | 県立高等学校通学区域に関する規則制定 |
昭和31年(1956年)
6月 1日 | 県教育庁機構改組(議事調査室を廃止、これを総務課に吸収した)(5課) |
10月 1日 | 地教行法の施行に伴い、任命制の教育委員会発足 |
10月11日 | 井上陸太郎 県教育長に就任 |
昭和32年(1957年)
3月19日 | 岡山県庁舎、岡山市内山下に新築落成 教育庁 、7月に 8階に入る |
6月24日 | 岡山県教育広報協会発足 |
7月 9日 | 岡山県総合文化センター設置 |
9月12日 | 岡山県民主教育協議会発足 |
10月 1日 | 財団法人岡山県学校給食会設立 |
昭和33年(1958年)
4月 1日 | 県立玉島高校を分離し、県立玉島高校と県立玉島商業高校として開校 |
5月 6日 | 県立学校職員の勤務成績の評定に関する規程制定 |
6月 1日 | 財団法人学校安全会設立(昭和61年3月 日本体育・学校健康センター岡山県支部に改称) |
昭和34年(1959年)
2月 6日 | 岡山県文化賞授与規程改正(文化奨励賞を加える) |
4月30日 | 岡山県知事選挙(三木行治 3選) |
昭和35年(1960年)
4月 1日 | 県総社高校大和分校、県弥高高校が廃止され、県立竹荘高校、県立成羽高校川上校舎に統合 |
4月26日 | 川上亀義 県教育長に就任 |
10月19日 | 東京天文台岡山天体物理観測所開所 |
昭和36年(1961年)
4月 1日 | 県立笠岡商工高校から工業科が独立し、県立笠岡工業高校として開校 |
4月 1日 | 県立岡山養護学校開校(小学部) |
5月 1日 | 県教育庁機構改組(秘書企画課を設置)(6課) |
5月12日 | 高校生急増対策研究協議会設置 |
昭和37年(1962年)
4月 1日 | 県立東岡山工業高校、県立水島工業高校開校 |
4月 1日 | 県備作高校、県至道高校を県営移管 |
4月 1日 | 県高松高校、県興陽高校を県営移管し、県立高松農業高校、県立興陽高校に統合 |
4月 1日 | 定時制高校 8校を全日制に移行(精研、賀陽、苫田、日本原、大原、弓削、備作、至道) |
9月16日 | 第17回国体夏期大会を岡山で開催 |
10月21日 | 第17回国体秋季大会を岡山で開催 |
昭和38年(1963年)
4月 1日 | 県教育庁機構改組(福利課を設置)(7課) |
4月 1日 | 岡山県教育研修所に岡山県理科教育センター付置 (⇒昭和48年4月1日) |
4月 1日 | 岡山県中央公民館を岡山県吉備青年の家とする (⇒昭和58年3月31日) |
4月 1日 | 県立岡山大安寺高校開校 |
4月 1日 | 県精思高校、県美星高校、県加茂川高校、県田原高校、県久世高校、県蒜山高校、県江見高校を |
4月 1日 | 国立津山工業高等専門学校発足 |
4月17日 | 岡山県知事選挙(三木行治 4選) |
昭和39年(1964年)
4月 1日 | 岡山県商業教育共同実習所開所 (⇒昭和49年4月1日) |
7月22日 | FOS少年団岡山県連盟結成 |
9月21日 | 岡山県知事 三木行治死去 |
9月30日 | 岡山県教員衛生研修所廃止 |
11月12日 | 岡山県知事選挙(加藤武徳当選) |
昭和40年(1965年)
4月 1日 | 岡山県青少年教育センター学校開所 |
昭和41年(1966年)
3月31日 | 県津山市立高校、県加茂高校、県鏡野高校、県有漢高校、県松山高校、県湯原高校を県営移管し、県立津山東高校、同加茂分校、同鏡野分校、県立高梁高校有漢分校、県立高梁南高校、県立勝山高校湯原分校とする |
4月 1日 | 県立成羽高校から川上校舎が分離独立し、県立川上農業高校として開校 |
4月 1日 | 県旭高校が廃止され、県立久世高校に統合 |
7月 6日 | 県立高校入学者選抜制度研究協議会設置 (⇒昭和42年7月14日) |
8月 5日 | 第 4回日本ジャンボリーを日本原で開催 (8月5日から8月9日) |
昭和42年(1967年)
3月 | 岡山県文化計画策定 |
3月24日 | 岡山県青少年保護育成条例公布 |
7月14日 | 県立高校入試学力検査を昭和44年度から 3教科(国・数・英)と決定(43年度は 5教科) |
昭和43年(1968年)
4月 1日 | 県立倉敷中央高校に専攻科を設置 |
4月 2日 | 篠井孝夫 県教育長に就任 |
10月20日 | 岡山県知事選挙(加藤武徳再選) |
昭和44年(1969年)
8月 1日 | 岡山県教育職員互助組合、財団法人として認可 |
12月24日 | 財団法人岡山県武道振興会設立 |
昭和45年(1970年)
4月 1日 | 県教育庁機構改組(文化課設置)(8課) |
4月 1日 | 県備北青年の家開所 |
8月20日 | 岡山県育英会東京寮完成(9月1日 新宿区市谷から港区高輪に移転) |
11月 1日 | 岡山武道館開館 |
11月 1日 | 吉備路風土記の丘県立自然公園条例公布 |
昭和46年(1971年)
4月 1日 | 小野啓三 県教育長に就任 |
4月 1日 | 県立苫田高校、県立美星高校を廃止し、県立津山東高校苫田分校、県立矢掛高校美星分校とする |
4月 1日 | 県寄島高校が廃止され、県立鴨方高校に統合 |
4月 1日 | 県立誕生寺養護学校開校 |
7月 1日 | 県立博物館開館 |
12月 1日 | 岡山県海事研修所を廃止し、岡山県渋川青年の家とする |
昭和47年(1972年)
3月24日 | 「岡山県長期総合教育計画の基本的施策の方向について」策定委員会から教育長に答申 |
3月27日 | 県立岡山聾学校、岡山市土田に移転 |
4月 1日 | 県教育庁機構改組(民主教育指導室設置)(8課 1室) |
4月 1日 | 県立落合高校に専攻科を設置 |
4月 1日 | 県立岡山養護学校に高等部を設置 |
9月 9日 | 学制発布百年記念行事開催 |
10月22日 | 岡山県知事選挙(長野士郎当選) |
12月 3日 | 岡山県教育塔完成 |
昭和48年(1973年)
3月25日 | 岡山県長期総合教育計画策定 |
4月 1日 | 岡山県教育センター開所(岡山県教育研修所、岡山県理科教育センターを統合) |
4月 1日 | 県立誕生寺養護学校に高等部を設置 |
昭和49年(1974年)
3月 | 岡山県総合福祉計画策定 |
4月 1日 | 県教育庁機構改組(民主教育指導室を課に昇格)(9課) |
4月 1日 | 岡山県商業教育共同実習所を岡山県情報処理教育センターとする |
4月 1日 | 県立岡山芳泉高校、県立倉敷南高校、県立早島養護学校開校 |
4月 1日 | 岡山県学校給食総合センター開所 |
7月 1日 | 在宅心身障害児訪問指導員制度発足 |
昭和50年(1975年)
8月 1日 | 岡山県高等学校教育研究協議会発足 |
8月 | 「教員スト処分問題」について、県教委は県教組(27日)、高教組(28日)と和解成立 |
昭和51年(1976年)
3月31日 | 県矢掛商業高校を県営に移管し、県立矢掛高校西分校とする |
4月 1日 | 学校給食に米飯を導入 |
4月 1日 | 岡山県立吉備路郷土館設置 |
4月 1日 | 県立岡山西養護学校開校 |
7月10日 | 岡山県農業機械教育センター開所 |
9月 1日 | 主任制発足 |
10月23日 | 岡山県知事選挙(長野士郎再選) |
昭和52年(1977年)
1月 8日 | 岡山県津山総合体育館設置 |
4月 1日 | 県新見商業高校を県営移管し、県立新見北高校西方分校とする |
4月12日 | 国立少年自然の家、岡山県に創設決まる |
6月16日 | 岡山県青少年保護育成条例公布 |
8月 1日 | 全国高等学校総合体育大会開催(岡山県を中心に中国五県で開催) |
9月24日 | 県立高校入試学力検査を昭和54年3月から 5教科と決定 |
昭和53年(1978年)
5月 1日 | 「まきび会館」開館 |
6月 1日 | 佐藤章一 県教育長に就任 |
10月10日 | 瀬戸大橋起工式 |
昭和54年(1979年)
3月15日 | 11年ぶりに県立高校入試学力検査 5教科で実施 |
3月31日 | 県立新見北高校西方分校廃止 |
4月 1日 | 県立備前高校から普通科が分離独立し、県立備前東高校として開校 |
4月 1日 | 養護学校の義務化スタートと訪問教育の開始 |
11月 1日 | 米飯給食全市町村に導入 |
昭和55年(1980年)
4月 1日 | 県立岡山一宮高校、県立倉敷古城池高校開校 |
6月13日 | 岡山県高等学校教育研究協議会発足 |
10月26日 | 岡山県知事選挙(長野士郎3選) |
昭和56年(1981年)
4月 | 岡山県新総合福祉計画スタート |
4月 1日 | 教育センター教育相談部スタート |
4月 1日 | 県立西備養護学校、県立岡山養護学校旭川分校開校 |
4月 1日 | 青少年、交通安全マトリックス組織の発足 |
8月 1日 | 岡山県津山婦人青年の家設置 |
11月 2日 | 岡山県倉敷総合屋内水泳センター設置 |
昭和57年(1982年)
4月 1日 | 県教育庁機構改組(教育振興室設置)(9課 1室) |
8月 9日 | 国体中国地区大会(ミニ国体)開催 |
昭和58年(1983年)
3月31日 | 岡山県吉備青年の家閉所 |
4月 1日 | 民主教育から同和教育へ名称変更 |
7月16日 | 宮地暢夫 県教育長に就任 |
10月22日 | 国立吉備少年自然の家開所 |
昭和59年(1984年)
4月 1日 | 教育庁機構改組(同和教育指導室設置)(1室 9課 1室) |
4月 1日 | 県立玉野光南高校開校 |
4月 1日 | 県立賀陽高校と県立加茂川高校を統合し、県立賀陽高校とする(昭和62年4月1日 県立吉備北陵高校と校名変更) |
4月 1日 | 県立田原高校を廃止し、県立成羽高校田原分校とする |
6月22日 | 同和教育基本方針策定 |
10月26日 | 岡山県知事選挙(長野士郎4選) |
11月 1日 | 岡山県古代吉備文化財センター設置 |
昭和60年(1985年)
3月31日 | 県立成羽高校田原分校、県立津山東高校加茂・鏡野・苫田分校の閉校 |
4月 1日 | 県立矢掛高校西分校を県立矢掛商業高校として独立開校 |
4月 1日 | 県立東備養護学校開校 |
4月 1日 | 県立岡山西養護学校に高等部を設置 |
4月 | 「燃えろ岡山」県民運動スタート |
10月 1日 | 岡山県教育委員会公文書公開(試行)の実施 |
昭和61年(1986年)
3月31日 | 県立賀陽高校加茂川校舎、県立高梁高校有漢分校、県立矢掛高校美星分校閉校 |
4月 | 第3次岡山県総合福祉計画スタート |
4月 1日 | 県立総社南高校開校 |
昭和62年(1987年)
3月31日 | 県立勝山高校湯原分校閉校 |
3月31日 | 県立邑久高校定時制課程新良田教室閉校 |
4月 1日 | 県立岡山城東高校開校 |
4月 1日 | 県立西備養護学校、県立東備養護学校に高等部を設置 |
8月21日 | 第42回国体中国地区大会(ミニ国体)の開催 |
昭和63年(1988年)
3月11日 | 新岡山空港開港 |
3月18日 | 岡山県立美術館開館 |
4月 1日 | 竹内康夫 県教育長に就任 |
4月11日 | 瀬戸大橋開通 |
8月 2日 | 岡山県美作ラグビー・サッカー場設置 |
8月29日 | 岡山県高校学校教育研究協議会発足 |
10月30日 | 岡山県知事選挙(長野士郎 5選) |
11月 1日 | 教育委員会制度発足40年記念式 |