本文
城を守る
城をまもる
1 城の防御施設
中世の城館では、敵の侵入を防ぐため、地形に合わせて堀〈ほり〉、切岸〈きりぎし〉、土塁〈どるい〉、塀〈へい〉・柵〈さく〉、逆茂木〈さかもぎ〉などが設けられました。
中世山城の模式図
2 堀
堀の種類と機能
地面を溝状に掘削した堀は、最も重要な防御施設の一つです。山城では、堀切〈ほりきり〉、竪堀〈たてぼり〉、横堀〈よこぼり〉などの空堀〈からぼり〉が一般的ですが、平城では水を湛えた水堀〈みずぼり〉も見られます(岡山市北区備中高松城跡、撫川城跡など)。
尾根筋を断ち切るように掘削された堀切は、尾根伝いに侵入する敵を防ぐためにつくられました(鏡野町河内城跡など)。堀を掘削した土砂は城内側の肩口に積み上げ、土塁を築くのに利用されています。また、通路を確保するために堀の一部を掘り残した土橋〈どばし〉も見受けられます(赤磐市大仙山城跡など)。
斜面につくられた竪堀は、敵が斜面を横方向に移動するのをはばむ目的でつくられました。竪堀を横に並べたものを特に畝状〈うねじょう〉竪堀(空堀)群と呼んでいます(備前市三石城跡、赤磐市大仙山城跡など)。
横堀は、曲輪を取り巻くように掘削されたもので、切岸や腰曲輪・帯曲輪と組み合わせることで防御機能をより高めています(鏡野町城峪城跡、玉野市両児山城跡など)。
堀切(鏡野町河内城跡)
横堀と切岸(鏡野町城峪城跡)
堀の構造
堀は、そのつくりによって薬研堀〈やげんぼり〉、箱堀〈はこぼり〉、毛抜堀〈けぬきぼり〉、障子堀〈しょうじぼり〉などに分けられます。
薬研堀は、堀底が幅狭くつくられたもので、V字形をした断面形が漢方薬を砕き潰す道具の形に似ていることからこの名前があります(城内側の斜面を急傾斜にしたものを特に片薬研堀と呼びます)。堀底を狭くすることによって敵の移動を難しくするとともに、少ない労力で掘削できる利点があります(岡山市北区忍山城出城跡など)。しかし、薬研堀は幅と深さが比例するため規模を大きくすることは難しいことから、複数の堀を並べて掘ることで敵をより遠ざける工夫がされています(真庭市藪逧山城跡、鏡野町河内城跡など)。
平坦な堀底をもつ箱堀は、薬研堀に比べて多くの労力が必要とされますが、深さにかかわらず堀幅を広げられる利点があり、平城に多く用いられました。また、山城では平らな堀底を通路として利用する例も見られます(鏡野町河内城跡など)。
毛抜堀は、堀底が毛抜の先のようにU字形をなすものを言います。
障子堀は、堀底に障子の桟のような土手を掘り残したもので、堀の中での移動を難しくするための工夫とみられます(大阪府大阪城跡、神奈川県小田原城跡など)。
薬研堀(岡山市忍山城出城跡)
箱堀(鏡野町河内城跡)
3 切岸
曲輪の周囲を切り崩してつくった人工の急斜面(がけ)で、堀と並んで中世山城の基本的な防御施設です。堅固な地盤をもつ山城に多く見られ(鏡野町城峪城跡など)、切り崩した土砂を利用して腰曲輪を造成した例も見受けられます。
4 土塁
曲輪や堀に付属して設けられた土手状の高まりで、侵入する敵をはばむ障壁として機能しました。土を盛り上げてつくるのが一般的ですが(真庭市小坂向城山城跡など)、地面を削り出してつくった例もあります。柵や塀と比べると永続性がありますが、一定の敷地や労力が必要とされます。
土塁(真庭市小坂向城山城跡)
5 柵・塀
立て並べた木材を結わえ、あるいはその上に板(盾)を張ったり泥土を塗ってつくった障壁で、主に曲輪の塁線や出入口(虎口、城戸)などに設けられました。しかし、塁線では土砂の流出が激しいためか検出例が少なく、曲輪内の区画もしくは建物に付属した柵(塀)の一部が岡山市北区甫崎天神山城跡などで見つかっているにすぎません。
6 逆茂木
敵の侵入を防ぐために木の枝を並べて垣にしたもので、その様が鹿の角に似ていることから鹿砦〈ろくさい〉とも言います。簡易なつくりであるためか、その痕跡が確認された例はありませんが、岡山市福隆寺縄手の合戦(寿永2年:1183年)では「口二丈ふかさ二丈に堀をほり、逆もぎ引、高矢倉かき」(『平家物語』)、美作市倉掛城の合戦(正平16年/康安元年:1361年)では「鹿垣を二重三重に結ひ廻し、逆木しげく引懸けて」(『太平記』)とあり、臨時の防御施設として広く用いられていたのかもしれません。
目次
項目 | 内容 |
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城のかなめ | 城の内部施設(おもに曲輪についての解説) |
城の出入り | 城の出入り施設・構造についての解説 |