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高尾北ヤシキ遺跡 津山市高尾

更新日:2022年3月18日更新

その4(令和4年3月18日更新)

 12月から調査地南半を中心に発掘調査を行ったところ、古墳時代後期や中世の遺構を多数確認しました。

 このうち谷に面した調査地南端では、古墳時代後期の竪穴住居8軒が見つかりました。検出状況から、すべてが同時に建っていたのではなく、建て替えをしながら暮らしていた様子がうかがえます。いずれも須恵器や土師器が多く出土していますが、住居(1)では碧玉製管玉<へきぎょくせいくだたま>、(2)では石製紡錘車<せきせいぼうすいしゃ>も出土しました。

 また、調査地の中央から南側にかけて、丘陵斜面を大規模に造成した平坦面が4か所見つかりました。これらの平坦面上に中世の掘立柱建物や段状遺構、土坑などが密集して造られており、青磁や白磁、瓦質土器などが出土しました。

高尾北ヤシキ遺跡の調査は3月をもって終了しました。

 2月16日(水曜日)には地元の方を対象に現地説明会を開催し、今年度の調査成果を公開しました。現地説明会の配布資料は「デジタル図書室」内の「現地説明会資料」をご覧ください。

古墳時代の竪穴住居
古墳時代後期の竪穴住居(西半)

中世の掘立柱建物
中世の掘立柱建物

その3(令和3年12月15日更新)

 調査していた谷地形の斜面では、幅広い時期(弥生時代~中世)の遺物を含む層の下で、弥生時代、古墳時代、中世の遺構が多く見つかりました。

 調査地の北半で確認した遺構は、弥生時代中期の段状遺構4面・墓1基、古墳時代後期の竪穴住居8軒・段状遺構15面・墓1基、中世の段状遺構・掘立柱建物18棟、多くの柱穴などがあります。この遺跡では谷地形の斜面を中心に、各時代に集落が営まれたことがうかがえます。

 緩やかな傾斜地の下方では、古墳時代後期の竪穴住居3軒と段状遺構2面が重なった状態で見つかりました。このうち1軒の竪穴住居では、壁際で炭化した木材や焼けた土が見つかり、焼失した住居である可能性があります。

 また、斜面中腹で確認した中世の段状遺構に伴う穴からは、鏡のような形の青銅製品が出土しました。直径11.2cmの円形で周りに細い縁があり、縁の一部には釣手が付いています。表面に像や彫刻は今のところ認められませんが、形や釣手の特徴から、鏡像〈きょうぞう〉又は懸仏〈かけぼとけ〉である可能性があります。鏡像や懸仏とは、平安時代の終わり頃から江戸時代に堂に吊して信仰の対象としたものです。この青銅製品は遺跡の性格を知る上で注目される遺物です。

調査区北半の全景
調査区北半の全景

古墳時代後期の竪穴住居と段状遺構
古墳時代後期の竪穴住居と段状遺構

竪穴住居から見つかった炭化材
竪穴住居から見つかった炭化材

青銅製品の出土状況
青銅製品の出土状況

その2(令和3年9月14日更新)

 これまで丘陵斜面の上側を中心に行っていた発掘調査は、下側の緩やかな傾斜地に移ってきました。現在、この付近に堆積した包含層(土器や石器などの遺物を含んだ土層)の掘り下げと、古墳時代の土器がまとまって出土した竪穴住居の調査を進めています。

 丘陵の谷に当たる場所に堆積した包含層は、厚いところで1.5m近くの深さがあり、弥生時代や古墳時代・古代・中世までの幅広い時期の遺物が出土しています。この土層を掘り上げると、谷地形の斜面に沿って段状遺構がいくつも造られていることがわかりました。現在見つかっているだけでも弥生時代2基、古墳時代1基、中世1基の段状遺構があり、さらに各時代の柱穴等も検出しています。調査は継続中であり、これから見つかる遺構の数もさらに増えていくと考えられます。

 また、古墳時代の土器がまとまって出土した竪穴住居は、丘陵が張り出した場所の近くで見つかりました。この土器は土師器という素焼きの焼き物で、住居に造られたカマドの前付近に、少なくとも4個の甕が置かれていたことが確認できました。今後は、カマドの造りや屋根を支えた柱穴の配置など、住居の構造について調査していきます。

段状遺構の写真
包含層下の斜面に造られた段状遺構

竪穴住居の写真
土師器の甕が置かれた状態で見つかった竪穴住居

その1(令和3年5月21日更新)

 昨年度に続き、一般国道53号(津山南道路)改築工事に伴って4月から高尾北ヤシキ遺跡の発掘調査を行っています。

 この遺跡は皿川に面した東向きの丘陵斜面に立地します。調査は斜面の上側から進めており、周りが見渡せる標高137mあたりで、弥生時代の段状遺構<だんじょういこう>1基、古墳時代後期の竪穴住居2軒、古代の段状遺構2基が並んで見つかりました。段状遺構は斜面を掘って平らな面を造った作業場や建物であったと考えられます。

 このうち、古墳時代後期の竪穴住居は平面形が一辺約4.5m の方形で、西側半分を確認しました。柱穴は3本を検出しましたが、その配置状況からもともとは4本あったことが想定されます。住居の西壁と北壁の中央では須恵器<すえき>や土師器<はじき>が置かれたような状態で見つかりました。

写真中央に段状遺構が見えます。
弥生時代と古代の段状遺構

写真の中央に竪穴住居が写っています。
古墳時代後期の竪穴住居