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尾崎<おさき>遺跡 美作市古町

更新日:2022年10月31日更新

その3(令和4年10月31日更新)

 10月をもって尾崎遺跡の発掘調査を終了します。調査の結果、東西約200mにわたる調査区のほぼすべてで鎌倉~室町時代の掘立柱建物の柱穴が見つかったことから、当時の集落が尾崎遺跡全域に広がっていたことが分かりました。また、平成17・18年度の調査に加え、今回の調査でも弥生時代の竪穴住居や溝、縄文時代の土器や石器が発見され、古くから人々の生活の場であったことを再確認できました。さらに、鉄の道具を製作・修理するための鍛冶炉と推定される遺構(古代以降)も確認され、新たな知見を得ることもできました。

 10月1日(土曜日)には地元を対象にした現地説明会を行い、調査成果を見ていただきました。地元の皆様、大変お世話になりました。

1
掘立柱建物の柱穴(中世)

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竪穴住居(弥生時代)

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鍛冶炉と推定される遺構(古代以降)

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現地説明会の様子

その2(令和4年7月13日更新)

 尾崎遺跡の発掘調査では、東西に細長い調査地を東から順に1~4区に分け、現在は東端の1区と西端の4区の作業を行っています。これまでに1区では列状に並んだ柱穴のまとまりである柱穴列(ちゅうけつれつ)、4区では土を掘りくぼめてできた穴である土坑(どこう)や拳(こぶし)~人頭大(じんとうだい)の石を集めた跡である集石遺構(しゅうせきいこう)のほか、柱穴が見つかりました。

 1区の柱穴列からは土器の出土がありませんでしたが、平成17・18年度に当センターが隣接地で行った鳥取道建設に伴う調査で検出した奈良・平安時代の建物と方向が同じです。このことから、この柱穴列もほぼ同時期に建てられたと推測しています。また、4区の土坑や集石遺構からは、鎌倉時代以降と考えられる土師質(はじしつ)の小皿や漁具の網の重りである土錘(どすい)が見つかっています。このほかにも、まだ見つかっていない当時の人々の生活跡がありそうです。今後の調査成果にもご期待ください。

柱穴列
1区 柱穴列検出状況(東から)

集石
4区 集石遺構検出状況(北東から)

土坑
4区 土坑遺物出土状況(北から)

 

その1(令和4年5月25日更新)

 一般国道429号改築工事に伴い、令和4年5月から美作市古町に所在する尾崎遺跡の発掘調査を始めました。

 古町周辺は、吉野川(よしのがわ)と後山川(うしろやまがわ)の合流地点を中心とした谷底平野が発達しており、調査地は後山川と北側の山に挟まれた場所に当たります。

 吉野川沿いには古代に播磨(はりま)と因幡(いなば)を結ぶ因幡道が整備されており、交通の要所であったことがわかっています。

 鳥取自動車道建設に伴って平成17・18年度に実施した同遺跡の調査では、弥生時代から古墳時代の竪穴住居(たてあなじゅうきょ)、奈良時代から平安時代の掘立柱建物(ほったてばしらたてもの)・火葬墓(かそうぼ)・土器棺墓(どきかんかんぼ)・炉(ろ)・焼土面、鎌倉時代の掘立柱建物・土坑墓(どこうぼ)・柱穴列などが見つかりました。

 奈良時代から平安時代の掘立柱建物は規則的に配置されており、また丹塗(にぬ)り土師器(はじき)・緑釉陶器(りょくゆうとうき)・硯・焼塩(やきしお)土器・石帯(せきたい)といった出土遺物の性格から、同所には公的機関が存在した可能性が考えられています。

 現在はまず、中世以降の包含層(ほうがんそう)から掘り進めています。

西側調査区の調査風景
調査風景(北西から)

包含層の掘り下げ風景
包含層の掘り下げ風景(南から)