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高尾宮ノ前<たかおみやのまえ>遺跡・福田湯田<ふくだゆだ>遺跡 津山市高尾・福田
その4(令和6年12月13日更新)
これまでの調査で、昔の皿川の複数の流路が見つかっており、これらが埋没した上面で、掘立柱建物を数棟検出しています。
現在調査中の流路は13世紀前半頃までには埋まり、その後掘立柱建物がつくられたことが明らかになりました(写真1)。おそらく鎌倉時代の終わり頃には周辺の地盤が安定し、土地利用が進んだのでしょう。
10月24日(木曜日)・25日(金曜日)に現地公開を開催しました。調査地が国道53号沿いであるため、日頃から作業を気にされていた方が多かったようで、地元の方を中心に2日間で50人の方が見学に来られました。
今回は主に、調査区北側で確認した中世の掘立柱建物や、古墳時代後期の祭祀に使われていたと考えられる土器が出土した流路を見学いただきました。また土器などの展示も行い、訪れた方は、現場の様子や写真・展示物・配付資料等を見ながら、熱心に説明を聞いてくださいました(写真2・3)。
特に、来られた方から順に個別で案内ができたことで、多くの質問等をいただく機会を得ました。このような会話を通じて、地元の方の遺跡に対する関心の高さを感じました。
現地説明会の資料はこちら(現地説明会資料ページへリンクします)から御覧いただけます。
(写真1)中世の掘立柱建物(南から)
(写真2)現地での説明の様子
(写真3)展示遺物の説明の様子
その3(令和6年10月15日更新)
現在、福田湯田遺跡の南端で調査を行っています。ここでも皿川の古い流れ(流路)がみつかっています(写真1)。流路の底からは古墳時代後期や古代の土器が出土しますが、その多くは水の流れによって角が取れ、小さな破片となっています。中には弥生時代後期~古墳時代前期にさかのぼる土器や、サヌカイト製の石鏃〈せきぞく〉も見られます。周辺には、より古い時期の集落があったことが窺えます。
この流路の上面で、近代以降の洪水によりもたらされた土砂の堆積を確認しました(写真2・3)。これにより水田は埋まり、大きな災害であったことがわかります。その後、土を入れて再び水田を営むものの、同様の被害をもたらす洪水がその後も2度、この地を襲います。結果、地面が60cm近くかさ上げされることになりました。
大雨災害が頻発する昨今、調査をしながら改めて水の猛威について考えを巡らしています。
(写真1)古墳時代後期~古代の流路(北東から)
(写真2)洪水による土砂の堆積状況 その1(南東から)
(写真3)洪水によるどしゃの堆積状況 その2(北西から)
その2(令和6年8月20日更新)
高尾宮ノ前遺跡の発掘調査は6月中旬で終了しました。
調査が終盤にさしかかった頃、調査区の北側斜面で、石組みの施設が見つかりました(写真1)。大きさは内法110cm×70cmほどで、時代は古代もしくは中世です。この遺構からは、鉄製の釘や炭が出土していること、石の一部に火を受けた痕跡があることから、火葬に関する施設と考えられます。遺構の詳しい性格については、今後さらなる検討が必要です。
6月から、福田湯田遺跡での発掘調査が始まりました。ここは国道53号に接しているため、車からの視線を受けながらの日々。現在は日除けのために黒い覆いをしていますが、よけいに目立っているようです(写真2)。
福田湯田遺跡は、吉井川の支流の一つである皿川<さらがわ>が北流して山塊を抜け、平地部へと入る谷口<たにぐち>付近から西側の丘陵上に広がる遺跡です。東側の丘陵には、佐良山<さらやま>古墳群最大の前方後円墳である高野山根<たかのやまね>2号墳(全長37m、6世紀後葉か)を始めとした多くの古墳が所在しています(写真3)。
調査では、これらの古墳がつくられた頃の皿川の流路<りゅうろ>を複数、確認しました(写真4)。川底まで1m以上ある流路は礫<れき>で埋没しており、早い流れであったことが窺えます。一方で幅1m・深さ30cm程度の流路は、堆積の様子から常に水が流れていたわけではなかったようです。ここからは、6世紀後半のものと考えられる複数の土器がみつかりました。出土状況から、須恵器<すえき>と土師器<はじき>の甕を対にして置いていたと考えられ、そのような場所を2地点で確認しています。(写真5・6)。水辺における祭祀の可能性があり、興味深い事例です。
(写真1)石組み施設(東から)
(写真2)作業風景(南西から)
(写真3)福田湯田遺跡周辺の様子(南上空から)
(写真4)1区全景(南から)
(写真5)流路からみつかった須恵器と土師器の甕(1)
(東から)
(写真6)流路からみつかった須恵器と土師器の甕(2)
(西から)
その1(令和6年5月22日更新)
一般国道53号(津山南道路)改築工事に伴う調査は、今年で8年目に入りました。この4月からは、高尾宮ノ前遺跡の発掘調査を引き続き行っています。
調査地点は、昨年度に2基の古墳が新たに見つかった尾根上の北側斜面にあたります。ここは傾斜が急なうえ、表土下すぐに硬い岩盤層が広がっています。土器の出土もあまりないことから、古墳をつくったり、人が暮らしたりするには適した場所ではないようです。
5月中に高尾宮ノ前遺跡の調査を終了し、6月からはおよそ1.5キロ南に位置する、津山往来の皿川渡河地点の北側にあたる福田湯田遺跡での調査を始めます。確認調査の成果から、古墳時代後期の集落の広がりが想定されています。どうぞご期待下さい。
作業風景(北から)