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至孝農<しこうの>遺跡 苫田郡鏡野町至孝農
その2(令和6年11月18日更新)
発掘調査は10月末で終了しました。
調査地内では、調査前からわずかに見えていた石垣の他に、鉄滓の層の下から壊れた石垣の基底部が検出され、たたら製鉄に関連する作業場が広範囲にあったことが分かりました。ただ、今回の調査では製鉄炉や鍛冶炉の跡、建物跡などは見つかりませんでした。
鉄滓については、地元の方から第二次世界大戦のころトロッコを使って外へ持ち出されたという話を伺いました。また調査によって現在の林道を作る際にも削られていたことも分かりました。このことにより、元来の鉄滓の量は調査で明らかになったものよりかなり多かったと推定できます。
10月23~25日には地元対象の現地説明会を開催し、多くの方々に出土した江戸時代の陶磁器、寛永通宝(銅銭)や現地の様子を見学していただきました。
現地説明会資料はこちら(現地説明会資料ページへリンクします)から御覧いただけます。
全体の状況が明らかになった石垣(北東から)
鉄滓層の下で見つかった壊れた石垣(東から)
現地説明会の様子
その1(令和6年8月20日更新)
7月から通常砂防事業に伴い、苫田郡鏡野町至孝農に所在する至孝農遺跡の発掘調査を行っています。本遺跡は吉井川西岸の山麓に位置しており、江戸時代に「たたら製鉄(せいてつ)」を行っていたことが文献に記されています。
調査地内では石垣の上下に造られた平坦面を数か所検出しており、たたら製鉄に関連する作業場の可能性が考えられます。また、製鉄によって生成された鉄滓(てっさい)や、製鉄炉の炉壁(ろへき)片が広範囲に散布している状況も確認しています。
調査は10月まで続く予定です。
石垣周辺の調査風景(東から)
出土した鉄滓や炉壁