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烏城紬(県指定郷土伝統的工芸品)

印刷ページ表示 ページ番号:0349458 2016年3月1日更新マーケティング推進室

お知らせ

  

特色

 普通の紬よりもたて糸が少なく、よこ糸を撚っていないため、布がしなやかで、着心地が良く大変暖かい着物に仕上がります。絹の優雅な光沢や色、しま柄は江戸時代のままです。
烏城紬写真
 

指定の内容

一 名称  
   烏城紬(うじょうつむぎ)

二 技術又は技法の内容
 (1) よこ糸を撚らず、束ねてからみ糸とすること。
 (2) 先染めの平織りとすること。
 (3) よこ糸を太目にし、織物を重目にすること。
 (4) かすり糸の染色は、「手くくり」とすること。

三 原材料
   使用する糸は、生糸とすること。

四 製造される地域
   岡山市

(指定年月日 昭和63年4月8日)
 

歴史

 倉敷市児島地方一帯は、瀬戸内海の交通の便と温湿度の好適等による地理的条件のほか、過去における綿花・藍の栽培地としての歴史的条件に基づき、織物業が今日まで発展してきた。
 南児島に産する織物は「備前織物」と呼ばれ、寛政の初年、田の口村で真田を織ったことが始まりとされるが、それに前後して迫川、宗津方面に常袴と称する袴地の製造がおこり、寛政10年の頃には児島地方一帯に広まるに至ったとされている。安政年間になると、迫川、南児島地方の織物は池田家御物産とされ、大阪方面に移出販売するようになり、今日の隆盛のもとを築いた。当時の製造方法は、原糸は手紡ぎの木綿糸を用い、手織りで染料は木の葉や芋の根、又は赤土を溶解したものであった。
 烏城紬の祖とされている三宅嘉平氏(1799年~1872年)は、灘崎村宗津で、農業と織物を兼業とした。当時の宗津の人々は、干拓により港としての機能を失ったので、狭い古地に頼るほかなく、古地の桑畑を唯一のものとし、養蚕、織物業に活路を求めた。また、干拓地への綿の栽培も盛んで自家生産し、自家労働力で織物に従事していた。生糸は紬になり、綿は小倉着尺となった。
 その後、家業は三宅寿平氏、三宅小三郎氏に受け継がれ、三宅小三郎氏は、大正元年には、岡山県の招聘を受け、岡山市内に織物作業場を設置し、製織技術にも多くの改良を加えた。
 

主要製造工程

 「糸紡ぎ」
   ↓
 「精錬」
   ↓
 「水洗」
   ↓
 「染色」
   ↓
 「糊付け」
   ↓
 「整経」
   ↓
 「機ごしらえ」
   ↓
 「製織」

  ※上記は、指定申出時の提出書類に基づくものです。
 
 

烏城紬(英訳)

Ujo Pongee Cloth
Designated April 8, 1988 Okayama-shi
It is said that hakama cloth textile was the origin for Ujo Tsumugi, which started mainly in the Kojima Bay Reclaimed Land area during the Kansei-Edo Period (around 1798). Today, purses, table centers, ties, and other goods made of Ujo Pongee Cloth are popular for daily use. “Ujo” is another name for Okayama Castle.