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2010年08月18日知事記者会見

印刷ページ表示 ページ番号:0298989 2012年11月12日更新公聴広報課

知事からの話題

質疑応答

知事からの話題

「あっ晴れ!おかやま国文祭」開会式・オープニングフェスティバルについて

知事)
 「第25回国民文化祭・おかやま2010」につきましては、10月30日の開幕まであと73日となりました。総合フェスティバルを初め、各事業の開催準備を全力で進めているところであります。
 国民文化祭の開幕を飾る開会式・オープニングフェスティバルにつきましても、本県出身の小山田真さんや叶千佳さん、まきちゃんぐさん、伊藤宏恵さんを初めといたしまして、県内の舞踊、芸能、音楽などの文化団体から実に総勢800名を超える県民の方々に出演をしていただくこととなっておりまして、現在、舞台の構成、演出の最終プランを詰め、出演者の皆さん方が日々練習を重ねているところであります。
 オープニングフェスティバルの内容につきましては、この後、総合プロデューサーの神崎宣武氏に現在の制作状況とあわせて御説明をいただくこととなっておりますが、多くの県民の皆さんが出演、参加をしてつくり上げるステージによりまして、全国規模で行われます文化の祭典、これに、この開幕にふさわしい、また本県が有しております文化力を全国に向けて発信することができるすばらしいオープニングフェスティバルになるものと、このように大いに期待をしているものでございます。
 私からのコメントは、以上でございます。
 神崎先生、よろしくお願いいたします。

神崎宣武氏)
 神崎です。よろしくお願いいたします。
 今、御説明がありましたように、オープニングフェスティバル、これは開会式に続くフェスティバルでご覧になる方には華やかな舞台になるわけですが、我々はそれを県民ステージということで構成を組み立ててきました。各地に伝わる伝統芸能、それから各文化団体のパフォーマンス、それから高校生以下の若い人たちの想像力豊かなパフォーマンス、そういうものをつないで岡山らしさを演出する。言うまでもないことですが、これまでの先催県も取り組んだことです。
 ただ、それを横並び、縦並びに並べるだけでは平板過ぎますので、物語設定もつくらなければいけません。そこで、「愛の雫」というイメージソング、このテーマが実にふさわしいという判断をいたしました。「愛の雫」は、御承知のように雨を取り上げたものです。「晴れの国おかやま」でなぜ雨というような問題は、理屈ではなくて、晴れの日ばっかりではない、雨の日もある、嵐の日もある、時代を遡ってみると、不況の時代、不幸の時代もあった。それを私たちの先祖たちは、英知を集めて努力を重ねて乗り越えたわけでありますから、そういうことで「晴れの国おかやま」にも嵐がやってくる、その嵐に立ち向かう役目として、マキビという役を小山田真さんで設定したのですが、それにさまざまなアドバイスをする、諭しをするのがシズクという叶千佳さんの役です。
 結論から申しますと、その嵐に立ち向かうのではない、嵐をも許容する。それで、嵐がおさまり、融合するのを待つということでありまして、そのあたりでのめりはりをストーリーの上でつける努力をいたしました。
 時間とかリズムとかという流れの中でのめりはりは、これは四季の循環、日本全体ですけれども、特に岡山は豊かに四季が展開する。それから、我々の生活も、日々朝から夜までのリズムがある。そういうものを全体に共感できるように、皆さん方が共感してくださるように考えたつもりです。そうした構成案が、7月末に最終的にまとまりました。
 それから、構成台本から、さらに具体的には演出台本というのをつくらなければいけないのですが、演出台本も、これは登場者の文言一字一句まで精査をいたしまして、7月末に完成したところです。
 御登場いただく文化団体にはあらかじめ周知をしておりますから、それぞれに練習は積まれているところもあるのですが、正式に分秒単位でのその出演の割り振り、後に話すことになると思いますが、ステージ・ナビゲーターという新たな役目、その人たちへの役割の分配、そういうこともすべて終わりました。つまり、私たちのオープニングフェスティバルの企画段階、頭で考えながら、いろんな資料を見ながら、つくっていった段階は、既に7月で終わりました。
 それで、制作段階へおろしております。これからの制作段階というのは、もちろんリハーサル、けいこを重ねるわけでありますが、幾つかの文化団体がそれぞれにやってきた練習をつないで、そのつなぎとしてステージ・ナビゲーターという人たちの役割を考えていっている。そのつなぎを、全体を通してはなかなかできませんので、パーツを少し広げた形でのトレーニング、リハーサルをこれから重ねていくことになろうかと思います。
 桃太郎アリーナというのは、決していい条件の舞台設定ができるわけではありません。これは専用の舞台の装置ではありませんので、これをどう使いこなすかというのが現場では大きな問題になります。音響、ライティング、そういうことを含めて、しかしこれはマイナスにとらえてはいけないのでありまして、広く使えるということではいい場所でありますから、これを精いっぱい生かして、最終的に仕上げるという段階をこれから迎えることになります。
 皆さん方も、どうぞ御興味を寄せていただいて、時々けいこや、あるいはリハーサルにお立ち会いいただければ幸いに思います。よろしくお願いします。
 岡山らしさというのは何かというときに、自然をたたえる、先人たちの苦労をしのぶ、これからの文化の創造に期待を寄せるということでできるだけたくさんの県民の人が参加しての総合ステージをつくるということは、これは当たり前のことです。ですから、岡山らしさをうたっても、それが必ずしも岡山らしさにはならない。どの県もそれは目指すところであります。
 もちろん、岡山には、文化の多重性、多様性というのが非常に顕著に見られます。これは、日本が世界の中で、例えば民俗芸能という、これはにんべんの俗ですが、民俗芸能というのを、これは他の国の言葉に訳してもなかなか通じないのです。民俗というのは、日本民族というのは通じますけれども、岡山の民俗、東北の民俗、九州の民俗というような形ではなかなか通じません。これは、日本での特に文化財指定なんかのときに誇るべき多様性、多重性だろうと思います。
 これは、一つには、政治、宗教が、地方のそういう地場でつくってきたその風土に即した文化を踏みつぶす、ならすというようなことをしなかった、歴史を通じて、焦土と化す、それは不幸にして戦争なんていうのはありますけれども、しかし日本全体をローリングするというような強圧的なかぶり方はなかったという幸せの象徴だと、私なんかは思っております。
 政治とか宗教が、長く強圧的に支配をいたしますと、やはりその土地の文化というのは画一的にならざるを得ません。それがなかったということは幸せなことであります。その幸せが、文化の多様性、多重性というのが、岡山が特に日本の中でもこれは象徴的な場所であります。
 ですから、たくさんのものを並べてこれをパッチワークのごとくつないで見ていただくということは、私たちが岡山県人として誇りを持って構成をしていいことだろうと思います。
 ところが、余りにもたくさんの、先ほどのお話のように、17団体、800人以上ですから、これだけの規模の人たちをつなぐというのは容易なことではありません。もちろん、小山田さんとか叶さんとか、そういう主役お二人の力も、これは舞台をめりはりをつける上では大変大事なのでありますが、端的に申しますと、何十人という子供たちを舞台に上げるということは、それだけでもまごまごすると何分かのロスになるわけです。それをスムーズに誘導して子供たちに平常どおりに元気に動き回ってもらう、歌ったり踊ったりしてもらうというためには、引率者としてつなぎ役が必要であります。それをステージ・ナビゲーターという役割で設定いたしました。
 ヨーロッパの舞台では、ステージ・ナビゲーターというのは、このごろ出てくるのでありますが、例えば歌舞伎がパリで講演する場合に、もちろん役者さんはスムーズに動きますけれども、下手上手という設定が日本ほどきちんとできない場合、やっぱり幕のそでまでは誰かが引率しなければいけない。
 それから、舞台の音響だけではなくて、会場の反応をどういうふうにつなぐかという役目で、これがヨーロッパではステージ・ナビゲーターということで出てきているのですが、日本では大規模なステージ・ナビゲーターという役目は今回が初めての試みだと言ってもいいかと思います。ですから、岡山らしさというのは、舞台の内容、出演者のパフォーマンスの力、それぞれに委ねるところがあるのですけれども、ステージ・ナビゲーターがつなぐ役目をどれだけ果たしてもらえるかということに、私たちはある意味での生死をかけているところであります。
 ステージ・ナビゲーターは、公募で、10歳代から30歳代まで、現在のところ24名であります。落ちこぼれがほとんどない状態で、4月からトレーニングを積んできました。これは、将来の岡山の文化を担う、そういう人材になってほしいという願いもありまして、応募者の人たちは退屈というか、早く舞台のけいこをしたいということで焦りも生じることになったのですが、あえて岡山の歴史、美術、芸能、そういう座学から始めました。それから、発声、立ち姿、基本的なダンスというような基礎トレーニングをいたしました。
 それで、先ほど言いましたように、7月末に役割を割り振りましたので、ある人はナビゲーターとはいえ声で出演する場合もあります。ナレーションのつなぎのような会話を考えているのですけど、そういう出演もあります。子供たちの引率という大きな役目もあります。民俗芸能の場合は、舞台を暗く登場が少し不安である部分は、そこに引率いたします。ナビゲーターの人たちだけで、例えばマキビが嵐に立ち向かうその前後の不穏の雰囲気、それを演出するような、演技をすることも考えております。
 私たちの予想、期待以上にナビゲーターの人たちに働いてもらうところが大きいものですから、これからも私たちはナビゲーターの人たちの気持ちが切れないように当日まで盛り上げるつもりでおります。
 もちろん、それぞれの出演団体、この人たちのお力に頼るところが大きいのでありますけれども、ナビゲーターという大がかりには初めての試みということで、岡山スタイルがここで確立できればというのが大きな願いの一つであります。

質疑応答

記者)
 神崎プロデューサーの目から見て、一番の「愛の雫」の見どころはどういうところにあると思われますか。

神崎宣武氏)
 見どころは、岡山の豊かさ、これが前半に出ます。米づくり、酒づくり、民俗芸能を使っての表現をいたします。それで、晴れの国です。その岡山に不幸な時代、不況の時代、先ほど言いましたが、嵐の日、そういうものが訪れます。その切りかわり、これがいかにドラマチックに暗転できるかというのが私たちの考える一番大きな効果を期待しているところです。
 それで、嵐に立ち向かうマキビの前に、岡山の先人たち、これは映像で背面に紹介するということになるんですが、まだどういう人たちということを設定しておりません。多分、吉備真備から、雪舟から、そういう歴史を通じて岡山を大いに盛り上げてくださった、そういう先人たちがどんどんどんどん何らかの形で出てまいります。それから、ステージ上にもそういうナビゲーターや先人に扮する人たちが姿、声で出てまいります。
 例えれば、古事記、それから備中神楽の中にもありますところの岩戸開きですね。天照大神が岩戸にこもってこの世が真っ暗やみになった。それで、神々が岩戸の前で協議をして、どうすれば岩戸を開いて再び天照大神の太陽を取り戻せるかということを協議するわけです。そういう古いモチーフを下敷き的に使いながら、そこへ新しいモダンダンス、現代舞踊というようなものを取り入れて嵐をあらわすということで、民俗芸能の伝統的な豊かさの表現の後に、現代的なものを幾つかちりばめて、物語は岩戸開きのような形で進行するという仕組みをしておりまして、豊かさ、暗さ、それからまた再びシズクがマキビを諭して、嵐をも愛しなさいと、あなたの中にこそ嵐があって、そのよこしまな気持ちを持っていることがさまざまな災いと対立することになるというような諭し方をしたときに、再び晴れが戻ってまいりまして、高らかに今の岡山の幸せを歌うというようなエンディングを考えておりますから、4幕構成ではありますけど、大きく言うと「晴れの国おかやま」の豊かさ、嵐、不況、不幸の時代、それから再び晴れの国という、こういう舞台上の明暗の転換がうまくいけば、モチーフは古くても創作舞台として評価してもらえるのではないか、評価していただきたいと思っております。
 ですから、そうしたストーリー、舞台の明暗、それからパフォーマンスの新旧、そういう切りかえを是非楽しみに見ていただきたいと、期待しているところです。

記者)
 神崎さんは、井原市美星町の御出身で、今もベースを置いていらっしゃると思うのですけども、そのことと、研究されてきたことが今回のプロデュースされた中に反映されていると思うのですけど、それを含めて、意気込みを聞かせていただきたいと思います。

神崎宣武氏)
 私は、別に自分で意識して人様に誇れるところはありませんが、ただ60年以上も生きてきまして、高校を出てすぐ東京へ出ておりますから、住民票は東京へ移して長いのですけれども、美星町がふるさとでありまして、ふるさとで私を引いてくださるさまざまな力があります。これは神主という村の中での役目もありますし、一つの組内という古い共同体もあります。それから、同級生の組織もあります。そういう人たちが私を必要としたかどうかは知りませんが、帰ることに歓迎の意をあらわしてくれます。それで、40年以上、私は往復をしているわけです。
 その意味では、ふるさとを捨てなかったということが今回のこういう役目をいただくことにもなったのだろうと思います。
 それで、国民文化祭の総合フェスティバルのステージのテーマだけではなくて、岡山県の文化振興のテーマにも、つなぐということを大きなテーマとしております。つないで、めぐって、のびるという、ホップ・ステップ・ジャンプというようなテーマ設定をしているはずでありますが、そのさまざまなものをつなぐということは、私はこれからの社会で一番大事なことだろうと思います。特に、学問が高学歴化して高度化しますと、テーマごとに分担を決めて、そこからはみ出ないということがある学会のルールなんかになっております。しかし、学問にしても、我々の生活にしても、すべて有機的につながっているのです。
 もちろん、ネクタイの専門家がいていいし、ワイシャツの専門家がいていいのですけれども、これをコーディネートするということで、私たちが生活を、ある文化性を高めながら持続しているわけでありますから、どうしてもつなぐという力をこれからの文化の発展のためにもう一度立てなければいけないだろうというのが、石井知事のもとで私たちがこの国文祭の準備の前から手がけた文化振興の骨子です。
 そうすると、パーツパーツをつなぐだけではなくて、人間をつなぐというのはどうすればいいかということを考えますと、古い世代が新しい世代にどうつなぐか、ステージ・ナビゲーターに託すという私たちの、高年齢者と言っていいですか、熟年齢者の期待もつなぐというテーマです。
 それと同じように、私は岡山から出た人が、我田引水するわけではありませんが、どういうふうにふるさとへもう一回つなぎ直しができるかということをこれからいろんなところで皆さん問うてみていただきたいと思います。国民文化祭も、私の耳に入ってるだけでも、出身者がどうすれば見に行けるかというような問い合わせがありますから、岡山県出身の人がもう一度この国民文化祭を機にふるさと回帰をするということでのつなぎ直しができれば、これは一番幸せなことではないでしょうか。
 何度も帰るということは大変なことなのですが、出っ放しというのも無責任であります。みんな岡山県のお金で育っているわけですし、岡山県の人力で育っているわけでありますから、恩返しを含めて県外へ出ている人を、もう一回つなぐかというのもこれからのテーマかと、僣越ながら思っております。