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平成29年度
このコーナーでは、中世城館跡総合調査を担当している調査員からのホットな情報をお届けします。 この便りを通して、調査の様子を感じ取っていただき、興味・関心を深めていただければと思います。
第31号
広がる城、動く城
津山市・鏡野町の城館調査が終わり、昨年12月中旬から調査の舞台は県南の矢掛町・総社市に移りました。寒さは身に凍みましたが、木々の葉が落ちて見通しが良くなり、Gps衛星の電波も受信しやすくなったおかげで、作業も順調に進み、予定していた城館の調査を2月末で終えることができました。
さて、私たちは現地調査に先立って、県内の遺跡の所在地情報をインターネットで公開している「おかやま全県統合型GIS」(以下GISと略す)や、各自治体史ほかさまざまな文献等で城の位置や概要を調べ、その情報を参考にしながら現地に赴いています。時には、情報源によって城の位置や名称、有無が食い違うこともあり、調査の取りこぼしや無駄が出ないよう、複数の資料を読み比べるなどの下調べを行います。ただ、事前に得た情報と現地の状況が異なるケースも珍しくありません。今回は、矢掛町で遭遇した事例を紹介しましょう。
矢掛町を流れる小田川の南岸に、「中山」という標高270mの丘陵があります。GISでは、この丘陵に「船が迫山城〈ふながさこやまじょう〉」と「中山城〈なかやまじょう〉」という二つの城が登録されています。一方、『矢掛町史』では、この山の稜線一帯に城が展開しているような記述がなされています。こういう場合は、ちょっと大変ですが、可能性がある場所を全部歩いて、どちらが正しいのかを確かめなければなりません。
まず、道のない急斜面を苦労しながら登り、丘陵の西端付近にある船が迫山城(写真の1)を確認しました。GISでは、この先の3の地点に中山城の城域が図示されています。一方、地形図を見ると、その東西(写真の2と4)にも城の遺構がありそうな地形が続いています。実際に尾根伝いに行ってみると予想通り、この2か所にも曲輪や堀切などの遺構が見つかり、結果的にこの丘陵では稜線上の4か所に城の遺構があることが分かりました。これらが別々の城なのか、単一の城なのかは判断に迷うところですが、現時点では1を「船が迫山城」、2~4をまとめて「中山城」として扱いたいと思っています。
中山遠景(1:船が迫山城、2~4:中山城)
2の地点で見つかった曲輪
また、「神子山城〈みこやまじょう〉」という城は、GISでは町内を南流する美山川右岸の丘陵上にあり、かなり広い城域が図示されていました。ところが実際にこの丘陵に登ると、城跡らしい遺構はどこにも見当たりません。一方、GISで「城山城〈じょうやまじょう〉」となっている美山川対岸の城跡は、『矢掛町史』では「神子山城」とされ、現地にも「神子山城」という石碑が建立されていることが分かりました。つまり、城山城は神子山城の別名で、二つは同じ城だったというわけです。この場合は、GIS上で従来の神子山城を抹消し、城山城の位置を神子山城とする必要がありそうです。
神子山城(GISでは城山城)の遠景
主郭に建つ「神子山城跡」の石碑
他にも、現地調査によって城の位置、範囲、名称などの変更が必要になる事例はしばしばあります。このような事例を紹介すると、既存の文献や地図のあら探しをしているように思われるかもしれませんが、もちろん私たちの意図はそこにはありません。過去にそれぞれの情報に基づいて作成された文献や地図を尊重した上で、現地での観察結果を付け加え、もし誤りがあれば正して、城館の情報をより正確なものに更新していこうというのが、私たちの調査の目的です。
そろそろ丸5年を迎える中世城館調査の中で、私たちは少なからぬ城を地図上で広げたり、狭めたり、動かしたり、消したりしてきました。しかしそれらも、私たちの現時点での観察に基づく見解にすぎません。いずれは、誰かが新たな視点で城を調査し、さらなる追加や訂正がなされる日がやってこないとも限りません。それもまた、城館調査のおもしろさといえます。 (O)
第30号
「1,000mの城」に登る
山城の多くは、人里や交通路からほど近い丘陵上に築かれており、ふもとからの標高差が300mを超えるような城となると、かなり限られてきます。
ところが、津山市勝北地区には、標高じつに1,075m、ふもとからの標高差が770mに及ぶ、異例の高さを誇る山城があります。その城は、津山市街地からもよく見える広戸仙(ひろどせん、標高1,115m)の山頂近くにあり、「爪ヶ城」(つめがじょう)と呼ばれています。
5月11日、調査員KとOは、この山城へのアタックを敢行しました。登る標高差は約550m、もはや山城調査というより立派な登山です。途中、杉が植林された急斜面、岩場の尾根筋などを抜け、1時間弱で標高910mのところまで到達しました。実はここにも、「矢櫃城」(やびつじょう)という山城があり、菅原道真の子孫とされる美作東部の武士団、美作菅家党(みまさかかんけとう)に属する広戸氏の居城といわれています。Kはここで矢櫃城の調査に入り、爪ヶ城へは私、O単独での登山となりました。
爪ヶ城遠景(平成29年6月8日撮影)
途中にある矢櫃城
矢櫃城からさらに登ること20分余りで、目的の爪ヶ城に到着。ちょうど雲の切れ目から日が差し始め、城跡に設置された展望台からは、眼下に広がるなだらかな高原地帯が見渡せました。爪ヶ城は、北側の山頂との間に3本の堀切を設ける以外に目立った遺構がなく、なかなか城のイメージが湧きません。山頂で会った何人かの登山者も、城ではなく登山目的の人が多いようでした。
さらに遺構の有無を確かめるため、標高1,115mの山頂にも登りました。残念ながらわずかな平場と露岩だけで遺構は確認できませんでしたが、ちょうどツツジ科の樹木、ベニドウダンが鮮やかな深紅の花を咲かせ始めていて、登山の疲れを癒してくれました。今回の調査は、登山、城、眺望、植物と盛りだくさんで、私にとっては充実の一日でした。
尾根に設けられた堀切
山頂に咲くベニドウダン
ところで、「爪ヶ城」という名称は、「詰めの城」に由来するといわれ、矢櫃城の広戸氏にとっての「最後の拠点」という意味と考えられます。矢櫃城は天文2(1533)年、出雲の尼子氏の軍勢に攻められ落城し、城主の広戸弾正(ひろどだんじょう)は自刃したと伝わります。爪ヶ城が実際に使われたのかどうかは定かではありませんが、この城に立つと、高い山の頂まで利用する必要に迫られた、当時の軍事的緊張に思いを馳せることができます。(O)
第29号
山城からの眺望
山城を調査するには、まず山に登らなければならず、時に大変苦しい思いをします。苦労してたどり着いた山頂も、多くは木々が生い茂っており、まわりの景色などは見えないのが普通です。しかし中には、10のうち1城にも満たない確率ですが、眺望が開けた山城があります。このような城に当たった場合、すばらしい景色を見ることができ、とても清々しい気分になります。今回は、そんな見晴らしのよい山城をいくつか紹介します。
真庭市 粟住山(あわずみやま)城跡
蒜山地域最大規模の山城です。主郭からは、蒜山三座はもとより鳥取県の大山まで見ることができます。眼下には蒜山高原の全域が見渡せ、この地域の支配には欠かせない場所であったことが窺えます。
井原市 高越山(たかこしやま)城跡
小田川流域の北側にある伊勢氏の居城です。頂部からは、広い範囲で旧山陽道が見渡せます。ここから眺めれば、眼下に軍勢が通り過ぎるのを見逃さなかったことでしょう。
笠岡市 大道(おおみち)城跡
神島にある海に面した全長60mにも満たない小さな城です。この城からは、眼下に瀬戸内海が見渡せ、笠岡諸島の島々も望めます(写真1)。ここからながめれば、海を行き交う舟の動きを把握できたと考えられ、見張り台の役割があったのではないでしょうか。
津山市 岩屋(いわや)城跡
美作地域の拠点の一つで、幾多の合戦談がある著名な山城です。この城からは、東は津山市、西は真庭市落合・久世・勝山といった、美作西部の主要な街なみが全て見渡せ、まさに拠点中の拠点に位置しています。この城は天正年間頃、毛利方の中村氏が守っていました。1584(天正12)年には、当時敵対していた宇喜多氏が城を囲む尾根筋に付城(つけじろ)<攻撃の拠点として敵城近くに築いた城>を築いて包囲します。今でも主郭からこの尾根筋を見ることができますが(写真2)、当時はここに宇喜多氏の旗が翻っていたと思われます。城に籠もる中村氏は、逃げる隙のないくらい敵に囲まれた情景を、どんな気持ちで見ていたのでしょうか。
このように山城からの眺望は、すばらしい景色だけでなく、時には戦国時代の情勢までもが想像できる楽しさがあります。山城調査の醍醐味の一つと言えるでしょう。(K)
写真1 大道城跡から見た瀬戸内海と笠岡諸島
写真2 岩屋城跡から見た付城群
第28号
平成28年度の振り返りと平成29年度の調査開始
平成28年度は、笠岡市・井原市・真庭市・里庄町・新庄村・久米南町の3市2町1村に所在する252か所の城館跡(伝承地を含む)を調査し、曲輪や土塁、堀切等の遺構を確認した城館跡が156か所、何らかの造作が見られた城館跡が68か所ありました。 現地踏査は100日を超えましたが、地元の皆さまのご協力によって、無事に終えることができました。ありがとうございました。 平成28年度の調査で、調査員3名が特に感動した城館跡をご紹介します。
・浦山城跡(新庄村) 出雲街道の県境近くにある城
・日爪城跡(真庭市蒜山上長田) 大規模な堀切を3重に掘削した城
・粟住城跡(真庭市蒜山東茅部) すべての尾根筋に曲輪を設けた長大な城
・陣山城跡(真庭市久世) 約1.8kmにもわたって連なる曲輪群
・丸山城跡(真庭市下呰部) 精美な形の曲輪を配置する城
・才田城跡(真庭市下中津井) 幾多の合戦譚が伝わる城
・高屋城跡(井原市高屋町) 5重もの堀切で敵を遮断する城
・小笹丸城跡(井原市美星町黒忠) 遠藤周作の小説『反逆』に登場する輪郭式の山城
・大道城跡(笠岡市神島外浦) 瀬戸内海の眺望は最高
・真鍋城跡(笠岡市真鍋島) 真鍋水軍の拠点
・大植城跡(久米南町山手) 3段の広い曲輪をもつ城
・鳶尾城跡(里庄町里見) 町内を一望できる城
粟住城跡からの眺望(南東から)
稜線に曲輪が連なる陣山城跡(南西から)
階段状につくられた丸山城跡の曲輪 (南西から)
高屋城跡に設けられた5重の堀切の1つ (南東から)
さて、平成29年度は、津山市・総社市・矢掛町・鏡野町所在の城館跡を調査予定です。前年度に引き続き、畝状竪堀群を新たに2か所も見つけたKと、今年50歳を迎えるM、新しく担当者となった山野に詳しいOが各地域の城跡を調査します。どうぞよろしくお願いします。(M)