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平成28年度
このコーナーでは、中世城館跡総合調査を担当している調査員からのホットな情報をお届けします。 この便りを通して、調査の様子を感じ取っていただき、興味・関心を深めていただければと思います。
第27号
真鍋島紀行
笠岡市の沖合に浮かぶ笠岡諸島の1つ、真鍋島の調査に行ってきました。笠岡港から定期船で約1時間です。真鍋島には3つの城跡が知られています。
真鍋島(北から)
まず、島の東端にある「城山〈しろやま〉城跡」に向かいました。山頂は整備され、平坦です。西~北斜面には石垣や竪堀状の多数の溝が確認できましたが、耕作の土留めだったり、雨水による浸食と考えられ、城とは関係なさそうです。
尾根筋を西へ下っていくと、市指定史跡の「真鍋〈まなべ〉城跡(別名:城山〈じょうやま〉城)」に到着しました。ここには周囲に石垣を築いた曲輪が残っています。石垣は2m程の高さがあり、自然の露岩を利用しているところもあります。
城山城 山頂
真鍋城跡の石垣
島の西端に位置する「沢津〈そうず〉城跡(別名:惣津城)」へは、北端の天神鼻から登りました。山頂周辺で道が途絶えて、猛烈なヤブとなり、平坦地を確認するにとどまりました。
真鍋島は、平安時代末の平家の栄華と盛衰を描いた『平家物語』にその名の見える真鍋氏が、本拠を置いたとされます。戦国時代には水軍としての側面を持っていたようで、織田信長が家臣の荒木村重に、石山本願寺攻略の際、真鍋などから毛利方が攻めてくるかもしれないので気を付けるように、と伝えた書状が残されています。
真鍋島にある3城はその年代など多くのことがわかっていませんが、堀切・土塁などの防御施設をほとんど設けていないことは、「合戦なら山城に籠るより海がいい」というような水軍の性格を物語っているのかもしれません。(M)
参考文献:『笠岡市史』 笠岡市 昭和58年
第26号
切岸の上と下
皆さんは、「切岸〈きりぎし〉」という言葉をご存じでしょうか。「中世城館跡総合調査」のホームページをご覧の皆さんにはお馴染みですね。辞書でひくと「切り立てたような険しい崖〈がけ〉。断崖。絶壁。」とあります。要するに「崖」のことです。今まで、戦国時代の山城は、兵が駐屯する平坦地「曲輪〈くるわ〉」や、敵の侵入を防ぐ「堀切〈ほりきり〉」と「土塁〈どるい〉」で構成されていると考えられてきましたが、近年「切岸」こそが最も重要な施設と評価されるようになっています。とにかく敵がよじ登れない「崖」を造ることが大事というわけです。切岸は主に曲輪の周囲に造られます。高くて急傾斜な切岸に囲まれた曲輪は、敵が登ってこれませんからまずは安心で、そこから眼下の敵を攻撃するのにも大変有利です。
今年度調査の中で、切岸の良く残っている山城をご紹介します。まずは、真庭市(旧久世町)の篠向〈ささぶき〉城跡です。遠くから見ても、山の頂上が四角く出っ張っているのがよくわかります。その出っ張りが山頂の曲輪で、切岸の高さは約8mもあります。
篠向城跡の遠景
篠向城跡の切岸
もう一つは真庭市(旧湯原町)の飯山〈いいやま〉城跡です。左下の写真が約5mの切岸、右下の写真のように高さ2m程の切岸もあります。これぐらいならメタボの私でもよじ登れそうですが、造った当時はもっと急だったはずです。よじ登る最中に槍で突かれたら防ぎようがありません。少しでも優位に戦いたいという気持ちがひしひしと伝わってきます。
どちらのお城も、地元の方々が毎年草刈されており、きれいな状態なのでお城の様子がよく分かります。
飯山城跡の切岸(5m)
飯山城跡の切岸(2m)
切岸の上に立つと、「この下に敵がきたらどうしよう」と思うことがあります。その場合、当時であれば、いやおうなく戦わなくてはなりません。戦国時代に生まれなくて良かったとほっとします。(M)
第25号
平成28年度の中世城館跡総合調査が始まりました。
今年度は、美作地域の真庭市・久米南町・新庄村、備中西部地域の笠岡市・井原市・里庄町の調査を行います。その成果は、ホームページなどで随時発信していく予定ですので、ご期待ください。
調査開始間もない4月の中旬に、旧落合町に所在する宮山〈みややま〉城跡を訪れました。戦国時代末期に毛利氏と宇喜多氏が覇権を争ったこの城は、標高450m、平野からの比高差320mという急峻な山の頂部に立地し、眼下に落合の町並みを望みます。縄張りは、主郭の西側尾根続きに2条の堀切を設け、さらに東側の尾根筋にも堀切や竪堀を配するなど防御を固めたつくりとなっており、この地域を押さえる拠点的な城郭として偉容を誇ります。
宮山城跡(北西から)
城跡から北を望む(南から)
主郭(東から)
尾根先端部の堀切(南から)
さて、この城の調査中に地元のケーブルテレビから取材を受けました。調査資材をコンパクトに携帯した私たちですら難渋したこの調査に、重いカメラを持って同行された記者さんには頭が下がります。そのおかげで、宮山城跡の歴史や縄張りの特徴などを現地で伝えることができました。残念ながら私たちはその放映を見ることができませんでしたが、真庭市のみなさんにこの調査の目的を御理解いただければ幸いです。
記者と同行した登城の様子
城内での取材の様子
今年度は、生まれも育ちも関東圏のKと岡山県南出身のM、そして初年度にも担当したYが各地域の城跡を調査します。どうぞよろしくお願いします。(Y)