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仏さまをまつる寺
遺跡紹介コーナー 〈寺〉
- 栢寺(かやでら)廃寺跡(総社市)
- 賞田(しょうだ)廃寺跡<岡山市>
- 幡多(はた)廃寺塔跡<岡山市>
- 備前国分寺(びぜんこくぶんじ)跡・国分尼寺(こくぶんにじ)跡<赤磐市>
- 備中国分寺(びっちゅうこくぶんじ)跡・国分尼寺(こくぶんにじ)跡<総社市>
- 美作国分寺(みまさかこくぶんじ)跡・国分尼寺(こくぶんにじ)跡<津山市>
- 熊山(くまやま)遺跡(赤磐市)
栢寺(かやでら)廃寺跡 総社市南溝手
約1,350年前の飛鳥時代に、総社平野のほぼ中央(岡山県立大学の近く)につくられた寺です。当時、このあたりにいた賀夜氏〈かやし〉という有力な豪族〈ごうぞく〉の寺だと言われています。
昭和52・53・63年に発掘調査が行われています。塔〈とう〉の基壇〈きだん〉は、外側を板状の石で囲み、内側に平瓦を立てたものだとわかりました。塔心礎〈しんそ〉が抜き取られた穴の跡もみつかっています。
現在、塔の基壇が整備され、当時の様子がわかるようになっています。また、抜き取られた塔心礎と考えられる石の上には、江戸時代の石製五重塔〈ごじゅうのとう〉が建てられています。
復元された塔基壇の様子
塔心礎に立つ江戸時代の石製五重塔
- JR服部駅から徒歩10分
賞田(しょうだ)廃寺跡 岡山市中区賞田
約1,350年前の飛鳥時代に、岡山市街地の東側の龍ノ口山〈たつのくちやま〉のふもとにつくられた寺です。当時、このあたりにいた上道氏〈かみつみちし〉という有力な豪族の寺だと言われています。
昭和45年、平成13~16年に発掘調査が行われています。飛鳥時代に金堂〈こんどう〉が、奈良時代には2基の塔〈とう〉が建てられたことがわかりました。塔の基壇〈きだん〉は切石を使った壮麗なものです。
現在、公園として整備され、金堂や塔の基壇が復元されています。
整備されて自由に見学ができます
寺が建てられたころの瓦(岡山市教育委員会提供)
- JR高島駅から徒歩40分、JR岡山駅東口から両備バス「国府市場西バス停」下車、徒歩20分
幡多(はた)廃寺塔跡 岡山市中区赤田
約1,300年前の奈良時代に、岡山市街地の東側、旭東平野につくられた寺です。賞田廃寺と同じ上道氏〈かみつみちし〉の寺だと言われています。
昭和47・48年、昭和63~平成元年に発掘調査が行われています。塔〈とう〉・金堂〈こんどう〉・講堂〈こうどう〉・門の位置が推定され、当時の伽藍配置〈がらんはいち)を復元することができます。
現在、住宅街のなかに塔心礎〈しんそ〉だけを見ることができます。柱をすえるくぼみの下に、仏舎利〈ぶっしゃり〉を入れる穴があります。この塔心礎の大きさは、長いところで2.8mもあり、県内では最大です。
塔断面のイメージ図
塔 心礎
- JR高島駅から徒歩10分
備前国分寺(びぜんこくぶんじ)跡・国分尼寺(こくぶんにじ)跡 赤磐市馬屋
約1,250年前の奈良時代に、岡山市から赤磐市へ抜ける古代山陽道に面してつくられました。
備前国分寺は、昭和49年、平成15~24年にかけて発掘調査が行われました。寺の範囲は南北約200m、東西約180mで、金堂〈こんどう〉・講堂〈こうどう〉・塔〈とう〉・門・回廊〈かいろう〉・僧房〈そうぼう〉が見つかり、伽藍配置〈がらんはいち〉が明らかになりました。16世紀ごろまで寺として使われていたようです。
備前国分尼寺は、備前国分寺の南、古代山陽道を挟んで約300mのところにあると考えられています。発掘調査は行われていませんが、付近から備前国分寺と同じ模様の瓦が見つかっています。
金堂(赤磐市教育委員会提供)
講堂(赤磐市教育委員会提供)
回廊の屋根瓦が倒壊した状況(赤磐市教育委員会提供)
復元された塔基壇(赤磐市教育委員会提供)
- JR岡山駅東口から宇野バス「新道穂崎下バス停」下車、徒歩6分
備中国分寺(びっちゅうこくぶんじ)・国分尼寺(こくぶんにじ)跡 総社市上林
約1,300年前の奈良時代に、総社市街地の南東側、岡山市から総社市へ抜ける古代山陽道に面してつくられました。
備中国分寺跡は昭和46年に発掘調査が行われ、南門・中門・築地が見つかりましたが、伽藍配置〈がらんはいち〉は明らかになっていません。南北朝時代の延元元(1336)年、福山合戦の戦火で廃絶したと伝えられています。
春の備中国分寺跡。現在の日照山国分寺は、江戸時代中期に再興されたものです。弘化8(1844)年ごろに完成した五重塔は、吉備路風土記の丘のシンボルとして有名です。
備中国分尼寺跡は備中国分寺跡の東約700mのところにあります。寺の範囲は築地の痕跡から東西約108m、南北約216mと推定され、伽藍配置は南から順に南門、中門、金堂、講堂が直線上に並ぶようです。また講堂の北側と中門の東側には建物跡があり、南門は古代山陽道とされる幅約6mの古い道と接しています。今は南門や金堂跡に礎石があり,築地や建物の基壇(きだん)の跡が高まりとして残されています。
備中国分尼寺跡の伽藍配置、建物が一直線に並びます。
写真左:金堂跡に残る礎石 写真右:南門周辺の築地跡と前面の古代山陽道跡
現在は、「吉備路風土記の丘県立公園」として整備されており、建物の礎石〈そせき〉や築地の跡をみることができます。
空から見た備中国分寺・国分尼寺跡の周りの様子。近くにはこうもり塚古墳などがあります。
- JR総社駅から総社バスで「国分寺(こくぶんじ)バス停」下車、徒歩5分。あるいは県営国分寺北駐車場から徒歩5~15分
美作国分寺(みまさかこくぶんじ)跡・国分尼寺(こくぶんにじ)跡 津山市国分寺
約1,300年前の奈良時代、津山盆地中央にある台地上につくられました。
美作国分寺は昭和52~平成12年の計8回、発掘調査が行われています。寺の範囲は一辺が約200mで、金堂〈こんどう〉・講堂〈こうどう〉・塔〈とう〉・門・回廊〈かいろう〉が見つかり、伽藍配置〈がらんはいち〉が明らかになりました。鎌倉時代頃には廃絶したと考えられています。
美作国分尼寺は、美作国分寺の東、約450mのところにあります。昭和56~58年にかけて発掘調査が行われました。寺がつくられた当時に使われた瓦は、美作国分寺のものと同じものが使われていました。 現在は、周辺が住宅地になっています。
河原石をつかった金堂の基壇
(津山市教育委員会提供)
国分寺が建てられたころの瓦
(津山市教育委員会提供)
- JR因美線東津山駅より徒歩20分
熊山(くまやま)遺跡 赤磐市奥吉原
約1,250年前の奈良時代に、標高508mの熊山山頂につくられた石積遺構〈いしづみいこう〉です。仏教に関係する「仏塔〈ぶっとう〉」と考えられていて、熊山山頂に複数つくられたことがわかっています。そのうち国史跡の石積遺構は、一辺11.7m、高さは3.5mあります。方形の基壇〈きだん〉の上に、方形の三段の石積みがつくられていて、仏像や仏具を納めた龕(がん)と考えられる横穴があります。 また、写真の陶製筒形容器〈とうせいつつがたようき〉は、上段の天井部に納められていたと伝えられています。
現在、国史跡のものは、山頂駐車場からの道も整備され、自由に見学することができます。
遺跡全景
仏像や仏具などを納めたとされる龕(がん)
陶製筒形容器 天理大学附属天理参考館蔵(天理大学附属天理参考館提供)
- 熊山山頂駐車場より徒歩15分