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令和元年度

更新日:2020年3月25日更新

 このコーナーでは、中世城館跡総合調査を担当している調査員からのホットな情報をお届けします。 この便りを通して、調査の様子を感じ取っていただき、興味・関心を深めていただければと思います。

令和元年度

 第34号

7年間の岡山県中世城館跡総合調査終了

 今まで掲載してきた「調査員便り」は今回が最終回です。最後はKが務めさせてもらいます。

 岡山県中世城館跡総合調査は、7か年の計画で実施してきました。初めの6年間(平成25~30年度)は現地調査を含めた各城館の調査を行い、最後の1年間(令和元年度)はそれらをまとめた総合調査報告書の作成に当てました。この度無事に全ての事業が完了し、総ページ数1,600を超える報告書を刊行したところです。現地調査も大変な作業であったのですが、報告書の作成は困難を極め、その結果「調査員便り」を全く更新ができなかったことをまずはお詫びします。

 この事業で最も精力を注いだのは、なんと言っても城館の現地調査です。その期間は6年にわたり、調査した城館数は1,423か所、何らかの城館関連遺構を発見した箇所は1,126にのぼります。従事した調査員は毎年3名ずつで、のべ18名、複数年担当した調査員の重複を除けば11名になります。大きな怪我をした調査員はいませんが、転倒などによる軽傷は日常茶飯事です。猪・蛇・スズメ蜂とは何度も遭遇しましたし、マダニにやられた調査員は3名を数えます(私もその一人です)。

 私自身は、後半の平成28~30年度の3年間を担当し、この間に調査した城館数は約460になります。よくもこれだけの数の城館を調査したものだと自分でも感心していますが、最後まで完走できたのは一緒に登った調査員M・Y・O・U・Wの5人の存在があったからです。この5人は、共に泣き、共に笑い合ったかけがえのない仲間です。心から感謝しています。また、調査の前半(平成25~27年度)を担当した調査員の方々には、現地調査の方法や縄張り図の描き方を教えてもらいました。文化財センター所長をはじめとした多くの職員にも、いつも気にかけてもらいました。担当課長にはいつも多くの相談を持ちかけ、たくさん心配をかけたと思います。物品の調達や予算を担当した職員にも、支えていただきました。

 7年間という長い事業の間には、他にも多くの方々にお世話になりました。稲田孝司先生(岡山大学名誉教授)と中井均先生(滋賀県立大学教授)には、専門委員として常に有意義な御助言をいただきました。文化庁や県教育庁文化財課の方々には、オブザーバーとして調査指導していただきました。市町村教育委員会の方々には、登城ルートなどの城館に関する様々な情報を提供してもらいました。文献調査を担当された畑和良さんは、膨大な量の史料調査をたった一人でやり遂げられました。縄張り図の製図をしてくれた職員や登城のための資料を用意してくれた作業員さん、現地調査に一緒に同行して取材をしてくれた報道関係の方もいました。それから忘れてはいけないのは、各地域で出会った地元の方々です。私が話しかけた全ての人が、温かく迎え入れてくださいました。それとこのHPを見てくれている方々、いつもご愛読いただきありがとうございます。この事業は、ここに挙げた誰か一人がいなくても完了することができなかったでしょう。この場を借りて関わった全ての方々に、お礼申し上げます。ありがとうございました。また、何かの機会にお目にかかれたら光栄です。最後になりますが、1年間「調査員便り」を更新できなかったお詫びとして、昨年度に調査した山城の中から眺望が素晴らしかったものをいくつか紹介したいと思います。それでは。(K)

寺山城跡(高梁市川面)から高梁川下流域を望む
寺山城跡(高梁市川面)から高梁川下流域を望む

塩城山城跡(新見市上熊谷)から大佐方面を望む
塩城山城跡(新見市上熊谷)から大佐方面を望む

竜王山城跡(倉敷市玉島黒崎・浅口市金光町佐方)から水島・児島方面を望む
竜王山城跡(倉敷市玉島黒崎・浅口市金光町佐方)から水島・児島方面を望む

鴨山城跡(浅口市鴨方町鴨方ほか)から浅口市街地を望む
鴨山城跡(浅口市鴨方町鴨方ほか)から浅口市街地を望む

 

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